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(『祝福家庭』95号)
【第2・第3祝福】「家庭完成・主管性完成」

 いつでもどこでも、訓読生活!
 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第2・第3祝福】
「真のお父様」に関するみ言(1)

《真のお父様のみ言》

「真の愛」に酔って生きる
 真なる愛は、与え、また与えても、なお与えたい心です。真なる愛は、愛を与えたということさえも忘れ、さらにまた与える愛です。私は生涯、そのような愛に酔って生きてきました。愛以外には、他のどのようなものも望んだことはなく、貧しい隣人たちと愛を分かち合うことにすべてを捧げてきました。愛の道が難しくて涙があふれ、くじけそうになっても、人類に向けた愛に捧げたその心は幸福でした。今も私の中には、いまだすべて与えきれない愛だけが満ちています。


(『平和を愛する世界人として』〈光言社単行本〉56


御飯が食べられない人がいると眠ることができない
 私は、冬に震えて通り過ぎる乞食(こじき)を見れば、御飯も食べられず、眠ることもできませんでした。そのような性格でした。それで、父と母に、「部屋に入れて御飯を食べさせてから送り出してあげよう」と言いました。それが、天の愛する根本になり得るものではないでしょうか。

 村で御飯を食べられない人がいるといううわさを聞いたならば、どうやって助けてあげようかと考えて、夜眠ることができませんでした。それで、私は両親に内緒で、米櫃(こめびつ)から米を取り出して分けてあげたりもしました。


(『真の父母経』第2篇・第3章・第1節・17)


負けず嫌いの気質
 私は、性格がとても性急な人です。一言でも悪口を言われれば、我慢ができない性格です。誰かに一発たたかれたら、耐えられない人です。また、誰に対しても負けるのが嫌いな人です。私は、そのような気質と性格をもっているので、できないことがありません。どんな運動をしても、私が勝ってみせるという性格をもっています。私は頭も悪くありません。

 そのような私に悲惨な境地、これ以上耐えられないという境地が、何十回、何百回あっただろうかと考えてみてください。恥ずかしいといえば、それ以上に恥ずかしいことはないという境地が、一度や二度ではありませんでした。しかし、それをすべて克服してきたのです。神様がそうされたからです。神様も火のような性格があるはずですが、その性格のままに一度動けば、世界を一掃できる立場にいるにもかかわらず、それを神様は、強い意志で耐えられたので、世界が残っているのです。


(同 第2篇・第3章・第1節・26)