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ほぼ5分で読める統一運動 8
生きて十字架の死の道を越えた文鮮明師

稲森 一郎

 平壌での3カ月間(1948222日~520日)の受難の後、興南監獄への移送となった文鮮明(ムン・ソンミョン)師は、そこで25カ月間(1948520日~19501014日)の強制労働に服します。

 文鮮明師は興南監獄について、「興南監獄とは、興南窒素肥料工場の特別労務者収容所のことです。そこで私は二年五カ月の間、苦しい強制労働に従事しました。この強制労働はもともとソ連で始まったものです。ソ連は、世論と世界の目があるために、資本家や反共主義者をむやみに抹殺するわけにもいかず、新たにこの刑罰を考案したのです。強制労働の刑を受けると、つらい労働にへとへとになって死ぬまで働くしかありません。この制度をそのまま真似(まね)た北朝鮮の共産党は、すべての囚人に強制労働をさせました。過酷な労働をくたくたになるまでやらせて、自然と死ぬように仕向けたのです」(光言社文庫判『平和を愛する世界人として』113ページ)と語っておられます。

 まさに働かせながら死なせる(殺す)地獄の収容所であり、死の収容所でした。
 では、文師が興南で過酷な労働を甘受された理由は何でしょうか。

 金百文(キム・ベンムン)牧師や許浩彬(ホ・ホビン)教祖が文師を迎え入れる天の内的摂理があったにもかかわらず、それを果たし得ず、キリスト教は「来るべき主を迎える」という再臨摂理の歴史的使命を果たすことができませんでした。

 言い換えれば、イエスが洗礼ヨハネを中心とするユダヤ教とイスラエル民族の不信仰によって十字架への道を歩まなければならなくなり、最後には十字架上で殺されたのと同じ道を、文師は北朝鮮で歩む結果となってしまったのです。

 イエスと文師の立場の決定的な違いを言えば、イエスは十字架で殺されたが、文師はイエスから引き継いだ人類救済の使命を果たさなければならず、興南監獄(十字架)で死んではならないということです。この地獄の収容所を生きて出なければならないということです。

 イエスの十字架の死を越えて、興南という地獄から霊肉共の復活・生還を遂げなければならないのが、神の悲しみを解放し人類をサタンの縄目から解放する文師の立場でした。
 その使命を果たすために文師は興南監獄で絶対に死んではならなかったのです。

 サタンが文師を簡単に殺せない条件、文師を讒訴(ざんそ)できない条件とは何か。
 サタンを自然屈服させる条件とはいかなるものか。

 それは、興南監獄の中で、囚人たちに対して、また共産党の監視員たちに対しても真の愛を示し、実践することでした。

 そして命じられた労働においても、他のいかなる囚人よりもよく働き、最も厳しい過酷な労働を率先して行うことでした。

 また、自分に与えられたわずかなご飯を全部食べるのではなく、他の仲間に半分を分け与え、自分は残りの半分だけを食べるというという自己犠牲的な生活を送ることまで決意し実践されたことでした。

 共産党は毎年、模範労働賞を文師に与え、監獄では、囚人仲間たちから絶大な尊敬を集め、牢獄の聖人として崇められるようになりました。(光言社文庫判『平和を愛する世界人として』113118ページを参照)

 文師はみ言を語ることなく、真の愛の実践を貫きました。
 その結果、霊界が助け、夢や啓示などを通じて、獄中に12人以上の弟子が生まれたのです。

 こうして、イエスに背いた12弟子を復帰する蕩減条件を立てることによって、文師は再臨主としての新たな出発をなす基台を造成することができたのです。