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【テキスト版】
ほぼ5分でわかる人生相談Q&A
幸せな人生の極意!

第195回「大本教」とはどんな宗教ですか?

ナビゲーター:阿部美樹

(動画版『ほぼ5分でわかる人生相談Q&A』より)

 皆さん、こんにちは!

 今回は、「大本(おおもと)教とはどんな宗教ですか?」という質問に対してお答えします。
 ウェブサイトを参考にして説明しようと思います。

 大本は、明治末に出口なおとその娘婿である出口王仁三郎(おにさぶろう)の二人を教祖とする神道系の新宗教として出発しました。

 この宗教は「大本教」と呼ばれることが一般的ですが、正式名称は「大本」であり「教」は付いていません。出口なおの住んでいた京都府綾部市が開教の地です。

 1892年2月3日(節分)の夜、55歳の出口なおという女性に、「艮(うしとら)の金神(こんじん)」という名で国常立尊(くにとこたちのみこと)が帰神(きしん)し、大本は開教しました。

 帰神とは高貴な神が宿ることをいいます。
 国常立尊は、開祖・出口なおを通して、乱れた世の中を立て替え立て直して、神が理想とする万民和楽の世界「みろくの世」を建設することを宣言されました。

 出口王仁三郎教祖は、189827歳の時、神霊の導きにより、郷里の京都府亀岡市にある高熊山で1週間の霊的修行をし、過去・現在・未来を洞察する神力を受け、宗教者としての使命を自覚しました。

 王仁三郎は神命を受けて大本に入り、開祖の五女・出口すみこと結婚し、開祖と共に大本の教義と基礎を築き、「聖師」と呼ばれるようになりました。

 大本の教典は、出口なお開祖と出口王仁三郎聖師によって伝達された『大本神諭(おおもとしんゆ)』と『霊界物語』の二大教典です。これらの教典は、大本の信仰と教義の基盤となっています。

 王仁三郎聖師が大本入りしてからは、大本の教勢は飛躍的に伸び、国家当局はその影響力を見逃すことができず、1921年には第1次弾圧を、1935年には「大本をこの世から抹殺する」として第2次弾圧を加えます。

 第2次の時は、聖地の建物がことごとく破壊され、取り調べを受けた人は3000人以上、検挙された人は987人、拷問による死者も出ました。
 裁判では無罪が確定しましたが、国への賠償金請求の権利を放棄しました。

 第1次弾圧後の1925年に、王仁三郎聖師によって、「人類愛善会」という、人種、国境、宗教を問わず、志を同じくする人々が協力して世界平和と人類の幸福を追求することを目指す団体が創立されました。

 全ての正しい宗教は同じ創造主(神仏)に由来するとし、異なる宗教間での協力を推進するという「万教同根(ばんきょうどうこん)」、さらには「人類愛善(じんるいあいぜん)」というあらゆる宗教に共通する教えの本質は、愛と善の実践にあると考え、その精神に基づいて「一つの神、一つの世界、一つの言葉」を理念として活動しました。

 第2次大本事件は全面解決し、1946年には「愛善苑」として再発足します。1949年には名称を「大本愛善苑」に変更し、さらに開教60周年の1952年から「大本」に変更することになりました。

 また、「芸術は宗教の母なり」という考えで、陶芸や書道、美術など文化活動にも力を入れてきました。

 このような経緯を見ると、多くの迫害を受けながらも、不変の信仰と人類愛善の精神で貫かれた尊い歩みがありました。

【参考】
「大本公式サイト」「大本信徒連合会(公式サイト)」


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