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ほぼ5分で読める統一運動 6
再臨摂理を阻んだキリスト教と共産主義

稲森 一郎

 文鮮明(ムン・ソンミョン)師は、194510月から6カ月間、金百文(キム・ベンムン)牧師の教会(イスラエル修道院)で過ごします。

 その時、文鮮明師は洗礼ヨハネ型の使命を持つ金百文牧師から「ソロモン王の祝福」を頂くのですが、そのまま金牧師が文師に侍り従うことができれば、イエス型(再臨主)の文師とキリスト教は一体化の勝利基準を成立させ、再臨摂理は2000年間にわたって神が準備されたキリスト教を中心に展開するはずでした。

 金百文牧師は李承晩(イ・スンマン)大統領と友好な関係にありましたから、李承晩クリスチャン政権(クリスチャン閣僚が多かった)と文鮮明師はキリスト教を中心とする再臨摂理において協調する関係を築くことが可能となるはずでした。

 しかし文鮮明師は、金百文牧師の不信仰によってキリスト教の基盤を失ってしまい、より一層厳しい共産政権下の北朝鮮の平壌で蕩減路程(失敗を取り戻す償いの路程)を歩むことになりました。

 1946年5月27日、「38度線を越えて平壌に行け」との神の命を受けて、文鮮明師は北に向かいます。
 1946年66日に平壌に到着し、北での苦難路程を出発します。19501014日に興南の強制収容所から解放されるまで、まさにイエスの十字架路程(死の道)を北朝鮮で、死んではならず生きて勝利しなければならない路程として歩まれました。

 平壌に着いた2カ月後の811日、文鮮明師は北朝鮮の共産党から李承晩のスパイとして告発され、また宗教と称して詐欺を働いたという理由で、大同保安署に拘束されました。

 共産党は北朝鮮においてすでに宗教弾圧を始めていました。
 許浩彬(ホ・ホビン)の腹中教も摘発され、腹中教の教祖と幹部たちは獄中にあって、「獄中で再臨主を迎える」という許浩彬に降りた啓示を教祖と共に固く信じて、再臨主との出会いを待ち望んでいました。

 牢獄で、神霊教団の女性教祖と文鮮明師が出会うという天の摂理は、文師と神霊的キリスト教の摂理的一体化のための最後のチャンスでしたが、そのチャンスもついえ去ります。

 獄中で文師がひそかに許浩彬へ届けた手紙文の内容が、共産党の監視員に見つかり、文師は激しい拷問を受けることになります。

 手紙文の内容は「あなた(許浩彬)が受けた啓示の内容を否定して保安署から出なさい。私が何者なのか、祈ってみなさい」というものでした。

 全キリスト教を代表して再臨主を迎えるための最重要人物であった許浩彬は、文師のアドバイスを受け入れず、かくしてキリスト教が再臨主と一体化する最後の機会も失われてしまったのです。

 1946年918日のことでした。この日が、2000年間のキリスト教が再臨主の受け入れに最終的に失敗した日となりました。

 大同保安署での拷問は過酷なものでした。
 半死状態となった文師は、1121日、極寒の野外に放り出されました。(『真の御父母様の生涯路程②』59170ページ参照)

 以後の、文鮮明師の統一運動が艱難(かんなん)に満ちたものになった要因は明らかです。

 第一に、キリスト教の失敗です。
 キリスト教が失敗したのでキリスト教に代わる教団をつくらなければならなくなりました。
 それは、ユダヤ教の失敗によってキリスト教が生まれたのと同じことであり、文鮮明師が1954年に創立した「世界基督教統一神霊協会」は、キリスト教の失敗を蕩減する役割を担ったのです。

 第二に、宗教を嫌い、弾圧する共産党の攻撃です。
 宗教を否定する無神論の共産主義は、徹頭徹尾、宗教を敵視し憎悪します。
 1968年、この共産主義に打ち勝つための国際的組織として、文鮮明師は「国際勝共連合」を創設したのです。