2024.06.19 17:00
共産主義の新しいカタチ 17
現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)
宗教的倫理性に「心の自由の砦」を発見
独社民党と第2インター④
階級闘争というマルクスの教義
ベルンシュタインとカウツキーとの立場の相違の第三は、政治戦略についてです。カウツキーら正統派の立場は、「資本家階級の利益と労働者階級の利益とは両立し得ず、『国民的利益』というものは全く存在しえない」。ゆえに政治闘争でもプロレタリアートは独自路線を歩むべきだとします。
しかしベルンシュタインはあくまで、①労働価値説を放棄すること②資本主義崩壊の信仰をやめること③中間階級の成長に注目すること—にこだわり、「社会主義とは、十分な発展を遂げた資本主義の後を継ぐ多少なりとも平和的な制度」としました。
一方、カウツキーは民主化や環境改善などの改良実践活動は重視するも、党活動を改良運動に終始することは誤りとし、生産手段の資本主義的私有所有の社会的所有への転化は革命でのみ可能—即ち、プロレタリアートが政治権力を奪取しての国家の根本的変革が最終目標でした。
こうした立場にもかかわらず、後にカウツキーがボリシェヴィキ暴力革命を批判したことは、ある意味正当なものですが、当事者からすれば、ジレンマに満ちた煮え切らないものと映ったでしょう。
彼がヒューマニズム的良心をもっていた証拠に、倫理と理念の問題について、「プロレタリア階級闘争組織としての社会民主党は、道徳的な理想や搾取や階級支配に対する義憤がなければやっていくことはできない。しかるにその理想は、科学的社会主義からは何らの援助も受けられない」と本音を吐露しています。
こうしたカウツキーとベルンシュタインの論争は、レーニンの前衛党論の共産党組織観からすると到底共存は許されません。ですが当時ドイツ社民党は緩やかな組織であり、1903年の党大会でベルンシュタインの修正主義は圧倒的多数で否認されたにもかかわらず党は分裂しなかったのです。カウツキーが改良活動を否定せず、「プロレタリア独裁」を議会民主主義的な支配と見た点も、さほどベルンシュタインと違わないとも言えます。
しかし、ダーウィニズムを援用し科学的社会主義を重視した彼らでも、ベルンシュタインは科学的決定論には断固として与(くみ)せず、「真に自由主義を擁護するものこそ、(自らの唱える)真の社会民主主義である」と持論を貫いています。
英オックスフォード大副総長を務めた政治学者A・D・リンゼイは『民主主義の本質』の第二版序文で、「マルクス主義はホッブズの考え方そのものである」と述べました。
このように、17世紀英国の哲学者トマス・ホッブズは、人間の自然状態における本性を「万人の万人に対する闘争」という性悪説を説き、機械的唯物論を唱えました。既にホッブズにおいて人間精神の営みというのは副次的なものにすぎないのであり、物質に還元できるとしていたのです。
ベンサム哲学に似る中国の体制
また、それは共産主義・社会主義という体制下のみに生じるものではなく、資本主義的自由主義においても十分に起こりうる、これを説いた点で、現代的な意義をもった「警鐘」としてあり続けています。
さてリンゼイは、「イギリス功利主義」の哲学者、ジェレミー・ベンサムもまた、「誤った民主主義」を説いたと看破しています。「最大多数の最大幸福」というテーマを掲げ、「幸福を数量的に計測することができる」としたベンサムの思想を、ある意味で「多数決の原理=民主主義」として理解する向きは少なくないでしょうが、まさに「逆立ちしたマルクス主義」そのものと言えるのです。
それはなぜでしょうか。中川八洋氏はベンサムを「極左で全体主義の理論家」と非難します(『保守主義の哲学』)。ベンサムは保守主義の政治思想家バークとは正反対に、フランス革命を諸手を挙げて支持しました。
彼の思想の本質は、経済面での「自由放任主義」にもかかわらず、国民を監視し「幸福の強制」を行う全体主義なのです。ある意味、現在の中国の社会状態を予見しているとも言えます。儒教的倫理観を失った現代中国で、拝金主義が横行しているとよく指摘される点です。ですからリンゼイも、ベンサムやホッブズの思想を「精神的な祖先」としてマルクス主義と共有している、と説いているのです。
リンゼイの指摘する人間の自由を認める「真正民主主義」と「似非民主主義」という二つの流れをチャートに表したのが下図です。
人間の心には理屈で納得できる部分と非合理な部分があります。非合理面を極大に解釈したのがフロイトですが、それを制御しようと働くのが宗教的倫理性です。これを除けば秩序は崩壊するので、必然的にホッブズ・ベンサム・マルクスの監視社会になります。この意味で、宗教性とはまさに「心の自由の砦(とりで)」であることが分かります。
★「思想新聞」2024年5月1日号より★
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