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スウェーデンボルグ(上)

(光言社『中和新聞』vol.514[1999年6月15日号]「歴史に現れた世界の宗教人たち」より)

 『中和新聞』で連載した「歴史に現れた世界の宗教人たち」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
 世界の宗教人たちのプロフィールやその生涯、現代に及ぼす影響などについて分かりやすく解説します。(一部、編集部が加筆・修正)

「宗教の生命は善を行うこと」
普遍的宗教の原理を説く

 エマヌエル・スウェーデンボルグは18世紀のスウェーデンが生んだ天才的科学者であり、最大のキリスト教神秘主義者です。84歳の生涯の前半を科学者、後半を神学者として過ごしました。

▲スウェーデンボルグの肖像(ウィキペディアより)

 19世紀に活躍したアメリカの文芸評論家ジョージ・リプリは、スウェーデンボルグを「発明家、植物学者、科学者、鉱石分析家、機械技師、家具製作人、製本者、レンズ研磨人、音楽家、オルガン奏者、国会議員、心霊研究家、時計製造人、言語学者、水路測定士、編集者、詩人、鉱山技師、出版者」と言っています。

 このような多方面の活動を見ると、彼は大学の教壇で教えた学者であったと思われがちですが、そうではありません。本職は鉱山技師であり、公僕として30年間スウェーデンの鉱山局に勤務しました。

 若いころ、ウプサラ大学の天文学の教授に招聘(しょうへい)されたこともありますが、辞退しました。祖国スウェーデンはその最も重要な産業である鉱山業に自分を必要としていると思ったからです。

 スウェーデンボルグの科学史上の特筆すべき業績は数多くあります。天文学や宇宙論に関しては、普通カントとラプラスに帰せられている有力な太陽系生成理論「星雲説」を史上初めて唱えました。また第一級の解剖学者・生理学者として、精神活動の座が大脳皮質にあることを最初に発見しました。ライト兄弟の200年前、グライダー型の航空機をデザインしたのもスウェーデンボルグです。そして無意識の秘密を解くカギを発見したのも彼でした。

 このように彼はたぐいまれな科学者でしたが、後世において彼を有名にしたのは、神秘主義者、霊界の探訪者としての側面でした。神学者への転向は、彼の科学者としての名声を曇らせるものであったでしょう。

 転向後の彼を精神的な病にかかったと見る人もいますが、霊界探訪に基づく膨大な著作には、終始科学者としての理性的で冷静な目が貫かれています。カントが「それが霊界についてであるという点を除けば、これ以上理性的な本はないくらいである」と述べたほどです。

 カール・ユングもスウェーデンボルグの著作の愛読者でした。ゲーテ、エドガー・アラン・ポー、ボードレール、バルザック、エマソン、ドストエフスキー、ヘレン・ケラーなども、彼の影響を受けています。

 日本では禅学の大家、鈴木大拙が彼の著作を初めて翻訳しました。内村鑑三も『余は如何にして基督信徒になりし乎』の中でスウェーデンボルグについて記しています。

 また賀川豊彦は「スウェーデンボルグは愛の人である。世の人は、彼の不思議な超人的な経験のみを知って、愛の使徒であることを知らない。……多くの人が、この愛の賢人を理解しないで、徒らに異端視することは、文明にとっての最大損失である」と評しました。

 スウェーデンボルグの紳士としての礼節は優れ、神学上の反対者でさえ、彼の人格を攻撃することはなかったといわれています。

 彼の説く普遍的な宗教の原理をひとことで示す、彼自身の有名な言葉があります。「宗教はすべて生命にかかわるものであり、宗教の生命は善を行うことにある」というものです。この言葉は1910年、ロンドンで開かれた最初の国際スウェーデンボルグ学会で、標語として取り上げられ、15か国語に訳されました。

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 次回は、「スウェーデンボルグ(下)」をお届けします。