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シリーズ・「宗教」を読み解く 319
修道院の祈り⑰
イエスの生涯を慕い倣う生活

ナビゲーター:石丸 志信

 アッシジの聖フランシスコは、自らを「無知で無学で、愚かな者」と呼ぶ。
 商人の子なので商売に必要な程度に読み書きそろばんは身に付けていたが、聖職者として必要な哲学や神学などを正式に学んだわけではない。

 さらに彼は、修道会の創設者であり、会を率いる責任者の位置にありながら、聖職者・司祭になることを望まず、生涯一介の修道士の身分にとどまった。

 それ故に、当時の知識人と比べれば決して学識教養が高かったとはいえないだろう。
 しかし彼には説教のカリスマがあり、彼の語る言葉は人々の心に強く響いた。

 説教というのは、論理明快であるとか、巧みなレトリックが使えるというだけではうまいとはいえない。
 もちろん、筋の通った話ができるに越したことはないが、魂を揺さぶり、感動を呼び起こし、聖霊の働きを感じるほどにするのは、言葉や論理だけではできない。

 説教者としてその場に立つのはその時代の人であるけれども、説教者の語る言葉やその姿から人々が体験するのは、そこに生きて働かれる神様のみ業であり、救い主イエス・キリストの出来事なのだ。

 フランシスコは、イエスの福音に忠実に生きる生き方を貫いていったので、その言葉にも真実性があった。目の前にいる人々にイエス・キリストの面影を見せることができた。

 フランシスコ会を代表する神学者・聖人ボナヴェントゥラは創始者フランシスコの伝記にこう書き記している。
 「永遠の光の輝きに照らされた知性は、注目すべき明敏さをもって、聖書の深みを探ることができた」

 フランシスコは晩年、祈りのうちに、十字架に付けられたイエス・キリストの幻を見、それ以後、彼の両手両足脇腹にイエス・キリストと同じ傷跡(聖痕)が現れた。

 聖痕を受けてフランシスコは、イエス・キリストが歩まれた清貧の道だけでなく、十字架上の痛みと渇きまでも共有することになった。

 13世紀に歴史に登場し、43年の短い生涯を歩んだ聖人の生き方は、その後多くの人々の共感を呼び、宗派を超えて感動を与え続けてきた。

 フランシスコの示した主イエス・キリストの生涯を慕い倣う生活は、エルサレムの聖地巡礼につながり、イエス・キリストが十字架を担いで歩いたヴィア・ドロローサ(悲しみの道)をたどる巡礼の祈り「十字架の道行の祈り」として普及していくことになる。

ヴィア・ドロローサ

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13回「聖地巡礼(その2)~巡礼の祈り



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