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ほぼ5分で読める統一運動 3
平和の母・韓鶴子総裁、誕生の背景

稲森 一郎

 統一運動は、1935417日、イエス・キリストが、若き文鮮明(ムン・ソンミョン/19202012)師(15歳)の前に現れ、人類救済の使命を継承された出来事を起点として始まった運動です。

 その意味で、統一運動の提唱者は文鮮明師ですが、統一運動を生涯にわたり、一緒に主導し実践してこられたかたが、文師の妻である韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁(1943~)であるという事実を、今日、世界の人々は正しく認識するようになりました。

 韓鶴子総裁がお生まれになった地は、北朝鮮の平安南道(ピョンアンナムド)の安州(アンヂュ)です。

 韓鶴子総裁が誕生した背景は非常に奥深く、その血統の由来から見ても啓示的なものがあるといえます。
 まず、一人娘が三代続くという血統から出ており、祖母が元模(チョ・ウォンモ)、母が洪順愛(ホン・スネ)、その娘が韓鶴子という三代の信仰篤き三人の女性が一人娘として誕生しているのです。

 これは、蘇生期の旧約時代、長成期の新約時代、完成期の成約時代を意味するものです。
 神の人類救援摂理の歴史的な連続性と継承性によって誕生した韓鶴子総裁の歴史的背景を物語っています。

 韓総裁の父は韓承運(ハン・スンウン/陽暦19091月生まれ)、母は洪順愛(陽暦19143月生まれ)であり、父の韓氏の家系をたどると、その本貫(ポングァン/一族の始祖の出生地)は、 韓国の忠清北道(チュンチョンプクト)の清州韓(チョンヂュハン)氏です。

 韓鶴子総裁は、以下のように述べておられます。

 「清州韓氏の始祖は、高麗(コリョ)建国の功臣の一人だった韓蘭(ハルラン)です。彼は、清州の方西洞(パンソドン)に務農亭(ムノンヂョン)というあずまやを建てて広い土地を開拓し、人々が農業を営めるようにしました。のちに高麗を建国することになる王建(ワンゴン)が、後三国の争乱の際、後百済(フペクチェ)の甄萱(キョンフォン)を討ちに行く途中で清州を通るのですが、その時、韓蘭は王建を出迎え、十万の兵の腹を満たすとともに、自ら一緒に戦場に向かい、大きな功を上げることになります。韓蘭はその功によって高麗の開国壁上功臣に上り詰め、その名を末長く轟(とどろ)かせます。その彼から33代を経て生まれたのが、私です」(『人類の涙をぬぐう平和の母』4647ページ)からの抜粋)

 母の洪順愛は平安北道(ピョンアンプクト)の定州(チョンヂュ)で生まれましたが、洪順愛の父は洪唯一(ホン・ユイル)、母は趙元模です。

 韓鶴子総裁の祖母にあたる趙元模おばあさんは、趙漢俊(チョ・ハンヂュン)という人物の直系の子孫であり、定州のタルレ江に橋をかけた金持ちが朝鮮時代の趙漢俊です。

 この人物は韓総裁の母方の先祖です。立派な事績を遺した趙漢俊を通して天子が生まれるだろうという伝説がありましたが、前方の山に石の弥勒仏が現れ、女の子が生まれるとの予言があり、弥勒仏の予言のとおり、韓鶴子総裁の生誕としてその予言は成就しました。

 その山は非常に霊験あらたかで、昔、馬に乗ってその峠を越える人たちは馬から降りてお辞儀をしないと馬の脚が地にくっついて動かなかったそうです。

 いずれにせよ、趙漢俊の全財産をなげうった橋の建設事業の功労のおかげで中国の使臣と朝鮮王朝の行き来もできたわけですから、偉大な業績でした。
 天が送るような聖人、聖女が生まれる背景には、先祖の多大な功績条件が必要です。

(同5155ページを参照)

 「平和の母」と呼ばれる韓鶴子総裁の誕生の歴史的背景は深く、気高く、崇高な香りに満ちています。