2024.05.25 22:00
ほぼ5分で読める統一運動 2
文師、イエス・キリストと出会い、使命の継承者となる
稲森 一郎
文鮮明(ムン・ソンミョン)師(1920~2012)は統一運動の提唱者であり、それを主導し、推進してこられた中心人物です。
出身は朝鮮半島の北端である平安北道の定州。詳細に言えば、文師は「平安北道定州郡徳彦面上思里2221番地」に誕生しました。
幼少時から特異な才能、すなわち非常に優れた霊性を示し、家族や周りの人々をしばしば驚かせたという逸話は枚挙にいとまがないほどです。
父・文慶裕(1893~1954)と母・金慶継(1888~1968)の間に、三人の姉、一人の兄、本人、三人の妹という8人兄弟姉妹の次男として生まれました(実際には13人生まれたが、5人は早世)。
文家の始祖は、全羅南道の南平文氏であり、その系図の始まりに「文多省」の名があります。
曽祖父からいえば、文禎紇(曽祖父)→致國(祖父)→慶裕(父)→鮮明、となります。
致國の弟の潤國(従祖父、牧師)は、独立運動において大きな役割を果たします。
文鮮明師の家系の伝統は、「腹が減った人を絶対手ぶらで送り返すな」というものでした。
旅人や客人をもてなす家風であり、物乞いなども押し寄せる、善意と思いやりの家で、文師の母は彼らを快く迎え、食事を与え、分け隔てなくふるまったといいます。
韓国には、南師古(1509~1571)が書いた『格菴遺録』という予言書があり、その中に「三八之北 出於聖人」(聖人は韓国の38度線以北で出生した人物である)と言っている箇所があります。
そしてその聖人は、「天上姓名隠秘之文」(天から地上に送る時、隠して送った彼の姓は文氏である)であると予言されています。
このような条件を完全に満たしている人物はまさに文鮮明師以外に考えられません。天が聖人として送ったというのです。
そのことを裏付けるような出来事が起きました。
1935年4月、文師が数えの16歳の時、驚くべき経験をします。
復活節(イースター)を迎える週のある朝、長時間の涙ながらの祈祷の果てに、イエス・キリストが現れ、文少年にこう語ったというのです。
「苦しんでいる人類のゆえに、神様はあまりにも悲しんでおられます。地上での天の御旨(みむね)に対する特別な使命を果たしなさい」(光言社文庫判『平和を愛する世界人として』67ページ)
人類救済の特別な使命を理解し、自覚した文少年は、この時以来、霊界の聖者たちと自由に通信できるようになり、静かな山中で、イエス・キリストと何度も直接対話をされました。
その時に啓示された多くの内容が、後日発表される「統一原理」の核心になるのです。
別の言い方をすれば、今日の統一運動(世界平和実現運動)の始まりとなった出来事が、若き文少年(満15歳)とイエス・キリストの霊的な邂逅(かいこう)であったということです。
イエスと若き文少年のこのような出会いは、人類救済というイエスの使命の継承者として文鮮明師が神によって召命を受けたという事実を表しています。
新約聖書には、イエスは再び来られて、人類救済の使命を完成されるという「再臨の預言」があります。
イエスが文鮮明師に現れ、その使命を文師に託したことの意味は非常に大きく、誰よりも自身が人知れず、この重大な責任を果たすために苦悩し、自らの人生を全て神にささげることを決意しなければならなかったということです。
この出来事以来、文鮮明師は無口になり、真理探究のために血と汗と涙に満ちた苦難の道を歩むのです。