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コラム・週刊Blessed Life 314
イスラエル・パレスチナ問題の考察

新海 一朗

 イスラエル・パレスチナ問題に関して、深く関わっている地域が、3カ所あります。
 一つはヨルダン川西岸地域、もう一つがガザ地区、そして三つ目がレバノン南部です。

 1967年の第3次中東戦争で、パレスチナ人が大半を占めるヨルダン領地がイスラエルに占領されました。

 国際法上ではイスラエルの占領管理が違法長期占領区域であるという判断が国際司法裁判所(ICJ)や国連で下され、同地域を「パレスチナ国家の占領地」として扱うことが2004年の国連決議で可決されています。

 すなわち、ヨルダン川西岸におけるイスラエルの占領および入植者の容認は違法であるという見解が取られていますが、イスラエルはこれを否定し続けているのです。

 ヨルダン川西岸は、穏健派のファタハと呼ばれるパレスチナ政党がパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長を中心としてパレスチナ解放運動を展開してきた地域ですが、ユダヤ人入植地域などの扱いが解決されておらず、それらの地域はイスラエル政府が「管理権」を主張し続けているのです。

 理論的には、パレスチナ自治政府の権限は、ヨルダン西岸地区とガザ地区(地中海に沿ったパレスチナ政府の行政区画)の双方を含むはずですが、西岸地区をイスラエル穏健派(中道左翼)のファタハが治め、もう一方のガザ地区を過激派・主戦派のハマスが治めているといった分裂状態です。

 ガザ地区は、事実上のハマス自治地区であり、エジプトとイスラエルによって2007年以来、経済封鎖され、孤立しています。
 ガザ地区は水、電気、食料供給などの自給自足を行えず、「事実上のイスラエル占領地」と評され、そのように見られているといえます。ガザ地区でのハマスの政治闘争が過激になっているわけです。

 ガザ地区の住人のほとんどは、1948年の第1次中東戦争からのパレスチナ人難民およびその子孫によって構成されています。ヨルダン西岸のパレスチナ人と比較して反イスラエル思想を持つ過激派を支持する人々が多かった地域であり、17年にも及ぶ長期経済封鎖の影響により、その傾向がより一層強くなったと考えられます。

 2006年、封鎖政策が実施される以前は20万人ものガザ住民がイスラエルに就職し、日常的に行き来していましたが、2006年の選挙でハマスがガザで圧勝したことを契機として、封鎖令が敷かれました。住民はガザ地区から出ることもできず、イスラエルとエジプトがガザ地区の封鎖を実施しています。

 国連では、ガザ地区の経済封鎖がガザを経済的な崩壊寸前に追い込んでいるとし、すぐさまに封鎖令を解く必要があるとするリポートを2020年に発していますが、イスラエルに無視され、現在に至っている状況です。

 三つ目のレバノン南部ですが、この地域では、ヒズボラがレバノン内戦(19751990)の混乱期に生まれ、とりわけ、レバノン南部で多くの支持者と組織基盤を持つようになりました。
 日本、米国、EU(欧州連合)、その他の多くの国々で、ヒズボラはテロリスト組織であるとの認定が行われ、多数のテロ事件との関連があると見られています。

 ヒズボラ自身も関連性を認める主張を行ったりしています。
 ヒズボラはイランから多くの資金援助や武器を受け取っており、イラン政府との密接な関係が指摘されています。

 このように、複雑な「イスラエル・パレスチナ問題」を考察してみると、中東の問題は、パレスチナ住人たちと現代イスラエルの歴史的な国家再建(1948年)以降の土地争奪戦を巡る多くのしがらみがあることが分かります。

 容易ならざる問題の解決を、人類全体が抱えてしまっているともいえるでしょう。