2024.05.15 17:00
スマホで立ち読み Vol.31
『文鮮明先生の日本語による御言集 1』17
日本歴史編纂委員会/編
スマホで立ち読み第31弾、『文鮮明先生の日本語による御言集 1』を毎週水曜日(予定)にお届けします。
真のお父様が語られた日本語がそのまま残されていて、当時の雰囲気を味わうことができます。日本に対する真の父母様の深い愛を感じる一冊です。
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一、「神の目的と我々の目的」
1965年1月28日
本部教会(東京都渋谷区南平台)
日本食口(シック)に期待すること
今日、羽田からずっと入って来て、21年前の状況を考えると、道路もズーッと眺(なが)めて来た時、随分車が増えているということを感じたんですね。
この日本文化はどこへ行くか。日本国民の今の精神状態は、どこにとどまっておるか。日本海の表面に光る光のように、外的美を飾りつけておる。
しかしその内的におきましては、いかなることが起こって来るでしょう。その文明に比例した悲惨なる罪悪がそこに潜んでいる。文明国民になればなるほど、責任が大きい。
だから君たちは勇気を出して。日本は今までアジアの盟主として考えているかも知れないんだけれど、信仰におきましても、天宙復帰のその理想実現におきましても、そういう心を持ってくれるのを先生は期待する。
「先生は韓国にだけ」、そういう観念は無い。先生は、世界的、歴史的だ。日本の着物ぐらいは着ることができるよ。着物が来れば、両手でもって正装することができる。日本のすべての作法までは良くわかりませんが、もしも君たちが夕食でも出してくれれば、何の挨拶(あいさつ)もせずに隅から隅まで、両手でもって頭をこうして日本式で食べる。
「先生は、こういう先生であるとは考えませんでした」。神は栄光の座に立っているのではなく、地獄に行っている。クリスチャンは誰も想像すらできません。何のことかわかりますか。私は高い所は願っていない。高い所よりも低い所に多くの人類が住んでいる。だから先生は平民主義である。
また個人主義じゃない。上流主義じゃない。中間の万民主義である。わかりますか。だからあまり緊張しなくてもよろしい。
天宙復帰のこの問題を解決するには、数多くの淵(ふち)が我々の周囲に広がっている。これをいかにして埋めるか。先生は寝ても起きてもこればかり心配している。それを思う時、我には韓国にもない、日本にもない、アメリカにもない、地上の何ものもない。ただこれを成し得る、これだけが貴いんだということを考えている。
だからそういう意味では、ようこそ統一教会に入って来ましたね。今までさんざん苦労してきたのに、また大先生という方が来られて、「まだまだ苦労が足らない。十字架を背負えと。ああ、つらい、つらい」。
しかし、どうせ行かなければならない。君たちが行かなければ先生が行く。君たちの時代にこれを責任持たなければ、先生の子孫におきましてもやらなければならない。
だから先生がもしもこういう願いを果たし得ずしてこの地上を発つという立場に立ったら、どういう遺言(ゆいごん)を残して行くか。ゲッセマネの園におきまして、イエス様が神様に訴えた言葉は、「このつらき杯(さかずき)をできるならば取り去り給え。しかし我の願う通りにせずして、神の声の通りにさせ給え」。その心情の留まる所は十字架の道である。
先生は統一教会の食口たちに、こういうことは言いたくない。私はどちらかと言えば、苦労を避けさせたい。しかしこの世界は神の願う世界じゃないから、その苦労ということは生涯の最後まで残るのである。
日本には打開しなければならない多くの問題があるでしょう。それは経済の問題ではない、政治の問題でもない。それは問題ではない。日本と目的の世界は、隔(へだ)たっている。
この一億を率いてこの地上に走る機関車になるその人が必要である。普通の車輌に乗っている人たちは眠っても、その機関手たちは眠ることはできない。普通の人のように座って外景を観賞することはできない。軌道を研究して、軌道を注視しなければならない。夜でも昼でも注視しながら目的地に向かって時間を合わせて進む。それは君たちの目的である。
その一億の日本と天国、我々の理想、目的の世界、その間にあるその淵を他の民族の力を借りずして、自分たちの、君たちの力でもってこれを埋めてくれることを切に念願しております。先生の今日の話は、これを理解し決意してくれれば、これ以上話すことはありません。これで終わりにしましょう。
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次回は、「神よ、覚えてください」をお届けします。