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スマホで立ち読み Vol.31
『文鮮明先生の日本語による御言集 1』16

日本歴史編纂委員会/編

(光言社・刊『文鮮明先生の日本語による 御言集 1』〈2015年2月12日第2版発行〉より)

 スマホで立ち読み第31弾、『文鮮明先生の日本語による御言集 1』を毎週水曜日(予定)にお届けします。
 真のお父様が語られた日本語がそのまま残されていて、当時の雰囲気を味わうことができます。日本に対する真の父母様の深い愛を感じる一冊です。

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一、「神の目的と我々の目的」

1965128
本部教会(東京都渋谷区南平台)

世界の淵(ふち)の処理

 しかしここには深い淵が横たわっている。 日本とか中国とかを考える時、そこには日本海がある。それが淵になっておる。日本とアメリカとでは太平洋が淵になっている。それから言語が淵になっている。親族が淵になっている。

 生活の環境とか歴史の文化の背景とか、みんな我々の歴史に関わっている。だからこれをいかにして処理するかという問題は大きな問題である。

 天国はどういう天国か。心情の世界であり、因縁の世界である。希望の世界である。死んで神と共に生き得る、永遠に生き得る心情の世界であり、事情の世界であり、希望の世界である。

 そして自分を中心として独立性を永遠にとらえる世界である。いかなる所に行っても融合し得る、主体となり得る世界である。 そして統一性をいつも懐(ふところ)に抱いて生活をしている世界である。

 それを考えれば、外的すべての要件の淵をいかにして処理するか、これが問題である。そういうことを考えてるから、日本に来て先生がこちらの言葉を使ってるよ。

 本当は国家的代表者が日本に来られたら、通訳を通して話す。大臣やらが韓国に来られたら、その国を代表したそういう人間であるから、その国家の威信を立たせねばならないという時には、自分の国の言葉を使う。だからそういう限界、そういう淵を埋めるには、簡単にはできない。我々の血と我々の手と我々の足と体と、ここに収まっている血と涙と汗でもって埋め込まなければならない。

 だから君たちは太平洋を責任持つか。あるいは日本海を責任持つか。あるいは大西洋を責任持つか。あるいは日本の文化を、あるいは日本の歴史を、現世の状態を、いかなることにもはびこっておるこのすべての限界とか淵を、どの程度の限界におきまして責任持つかという問題である。

 そういうふうに見るというと、今までのようにここ日本にだけおればいけないということなんですね。

 だから、「アメリカに行きたい」。行きたければ行かれる道はいくらでもあるよ。「ああ、南米に行きたい」。行こうとすればいくらでも行く道はある。我々の決心をもって天宙復帰の勇士として行こうとすれば、いくらでもある。

 昔の話だ。申し訳ありません。ここに西川という男がおります。今から8年前にのこのこと先生の所にやって来た。

 「君の出生地はどこか」。「本当はここであったんだけど、日本の地に親しみを持っております」と。そして「日本を愛する、いかに愛するか。神の息子として、堂々と愛すべき立場に立ち得るか?」。「はい、日本に対しては私が責任を持ちます」。西川のその言葉をいただいたんだ。

 その時は韓国におきましては最高の迫害の中でやっていた。先生の一生におきましては、三カ国の試練を通過しなければならない。三主権を通過して行かなければならない。それから数多くの教派から迫害を受けなければならない。異端者の親分、そういう役目が統一教会のここに立っておる先生ですよ。

 しかしその時、内外共の迫害が迫って来る時、先生は今後何年後の世界を考える時に、ここにおいて勇気を出して必要な判断をしながら、それで西川という者を呼び出して、「君」、「はい」、「日本に伝道に行くという、宣教師として行くという、そういう決心があるか?」。

 韓国に行けばね、甲寺(カプサ)という所がある。その時、全韓国において迫害が迫り迫っていたから、先生はその村に行っておったんですね。そこへ訪ねて来てそう言う。

 「ならば、行け!」。行くには条件無しで。心が行けば、百の心が行き、千の心が行き、万の心が先立って行けば、生きる。これが摂理だ。そういう覚悟でもって、行け!

 行ける道はいくらでもある。もしも日本に直接行けなければ、あるいは香港の方から入ることができる。それができなければ、他の国からまた入る。回り回って入国できる。

 ここに米国の宣教師、金永雲(キム・ヨンウン)先生もおるんですがね、外国伝道ということは、天にとって今から何年後の摂理を完成するには、なさねばならない。

 それを考える時、日本に行けば、本当に神の要求にかない得る青年たちがいるか。考えてみなさい。おりますか?(「はい」)。はい。おりますか!(「はい」)。はいですか!(「はい」)。

 今後の先生の計画としては、世界を救って行かねばならない。それは先生一個人の路程じゃない。それは神御自身の崇高なる道である。我々の善なる先祖がつらい立場に立って、果たせなかった願いだ。現世の人類は、みんなが道を塞(ふさ)いでしまう。

 そうであればここには犠牲者を出さなければならないという結論になる。何でもって、あらゆるその淵を埋めるために、誰か逆立ちして、乗り越えなければならない。

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 次回は、「日本食口に期待すること」をお届けします。



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