https://www.kogensha.jp/shop/detail.php?id=4210

【テキスト版】
ほぼ5分でわかる人生相談Q&A
幸せな人生の極意!

第186回 日本におけるキリシタン迫害の状況を教えてください

ナビゲーター:阿部美樹

(動画版『ほぼ5分でわかる人生相談Q&A』より)

 皆さん、こんにちは!

 今回は、「日本におけるキリシタン迫害の状況を教えてください」という質問に対してお答えします。

 1597年に起きた長崎二十六聖人の殉教事件をはじめ、徳川幕府による250年に及ぶ迫害は、全国各地でやむことがありませんでした。

 1597年2月に豊臣秀吉の命令によって26人のカトリック信者が長崎で磔(はりつけ)の刑に処されました。
 日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われた最初の例であり、「二十六聖人の殉教」と呼ばれています。

 その後もキリスト教徒への迫害が続き、京都の大殉教や元和(げんな)の大殉教などが引き起こされました。

 京都の大殉教とは、161910月、鴨川の正面橋近辺で52人の信者が火あぶりの刑で処刑された事件です。

 その中に、11人の子供も含まれていました。母親たちは十字架の上で幼い子を抱き、「主イエスよ、この子供たちの魂を受けてください」と叫んで殉教しました。

 「元和の大殉教」とは、16229月、長崎の西坂においてカトリックのキリスト教徒55人が火あぶりと斬首によって処刑された事件です。
 最も多くの信徒が処刑された事件として記憶されています。

 1607年に来日した宣教師オルファネルは、当時の迫害状況を次のように報告しています。

 「キリシタンを皆殺しにすることはやさしいことだったが、迫害者たちは、それより転ばせる(棄教させる)方法を選んだ。

 理由はキリシタンを皆殺しにしても彼らを自分の意に従わせえなかったという侮辱を受けたことになり、自分たちの負けになるからである。

 迫害者たちが望んだのは、己れの命令に(キリシタンを)従わせることだった」『探訪・大航海時代の日本③ キリシタンの悲劇』(40ページ)

 このように、日本では棄教するまで監禁し拷問し続けるという方策を取り、拷問も陰湿で、残酷なものが数多くありました。

 例えば、「火あぶり」という生身の人間を焼き殺す方法で、柱に縛り、苦しみを長引かせて転(ころ)ぶ機会を与えるために、縛った縄も弱くし、まきは柱から離しておきました。

 また、キリシタンを街道脇の柱にくくり、首に刀で傷をつけ、そばに竹ののこぎりを置き、刑務所に勤務する役人や通行人がこののこで首の傷跡を引き裂く「竹鋸(たけのこ)引き」という拷問がありました。

 「穴つり」という深さ2メートルの穴に信者を逆さつりにする拷問もありました。
 その時、内臓が逆転したり、頭に充血したりして早く死なないよう、胴体を綱でぐるぐる巻きにし、耳の所に小さな穴を開けたりして長時間の苦痛を与えました。

 また、雲仙の硫黄泉の噴出口に連れて行き、熱湯の滴を裸の肉体に注ぐ「雲仙の地獄責め」が行われました。

 苦痛を長引かせるため、医師が焼けただれた傷に手当てを加え、少し休ませ、わずかな食事を与えられ、拷問は幾日も続きます。
 まさにアメとムチ方式でキリシタンの心身をもてあそんだのです。

 このように、日本のキリシタン迫害では、信者が信仰を棄(す)てない限り、監禁がいつまでも継続されたのです。

 現代日本では、長い間迫害されたキリスト教が今度は迫害する側に回り、家庭連合の信者に対して棄教するまで監禁をしています。

 監禁中に手足を縛る、暴力を振るう、病気になっても病院に行かせないなどもあり、迫害史の中で、最も残忍な方法が継承されています。

 今回はキリシタン迫害の大まかな様子をお伝えしました。


【「ほぼ5人生相談Q&A」~質問・相談はコチラまで!】