2024.04.26 22:00
【テキスト版】
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第185回 日本における宗教迫害が行われた事例を教えてください
ナビゲーター:阿部美樹
皆さん、こんにちは!
今回は、「日本における宗教迫害が行われた事例を教えてください」という質問に対してお答えします。
2022年7月8日に安倍晋三元総理が暗殺されてから家庭連合(旧統一教会)への批判が過熱化し、2023年10月13日、ついには政府が裁判所に宗教法人の解散命令を請求するに至りました。
これは公平中立であるべき政府が、政治的な意図を持って活動してきた左翼系弁護士グループの情報のみを根拠に判断した国家権力による弾圧です。
そこで、日本における宗教迫害の事例を確認してみたいと思います。
近代日本では、国家神道による「廃仏毀釈(きしゃく)運動」が起こりました。
これは、明治時代の神仏分離令の発布後に全国で起きた運動であり、お寺に押し入り貴重な文化財である仏像や経典、寺院の建物自体を破壊したことを指します。
また、新宗教に対する弾圧が行われ、創価学会の前身である「創価教育学会」、PL教団の前身である「ひとのみち教団」、クリスチャンである内村鑑三も独自の「無教会主義」を唱えましたが、教育勅語に対する拝礼を拒否したことから、不敬とされて職を追われるなど弾圧を受けました。
日本国家最大の宗教弾圧は、新宗教「大本」への弾圧です。
日本の内務省による、国策捜査として、1921年と1935年の2度にわたる大本事件が起こりました。
治安維持法が適用され、教団の聖地がダイナマイトで破壊されたり、教祖や幹部60人が一斉検挙されたりしました。
経典である『霊界物語』などは、発売頒布禁止処分となりました。
大本事件により、一時は150万人を超えるといわれた大本信者が激減し、多数の分派が生まれました。
また、今から400年以上前の1597年2月には「長崎二十六聖人の殉教事件」が起こりました。
以来、日本は長く厳しいキリシタン迫害時代に入っていきました。
キリスト教徒を「クリスチャン」といいますが、日本では戦国時代から明治時代にかけて「切支丹(キリシタン)」と呼んでいました。
このキリシタン迫害について、キリシタン史研究家の片岡弥吉氏は、次のように述べています。
「世界史の中で、ローマ帝政時代300年のキリスト教迫害はもっともよく知られている。けれども、徳川幕府のキリシタン迫害には及ばない。ローマの迫害は皇帝によって寛厳があり、また迫害が中断されたこともあったし、教皇以下神父たちもいて祭儀も行われた。徳川幕府の250年に及ぶ迫害はやむことなく、その検索も緻密(ちみつ)・厳重をきわめており、神父も殉教しつくして、ひとりの聖職者もいない時代が7世代にわたる久しきに及んだ」(『探訪・大航海時代の日本③ キリシタンの悲劇』 36ページ)
日本におけるキリシタン迫害が他に類を見ないほどに厳しかった理由は、迫害者が信者に「殉教者の道」を選ぶことをさせず、棄教するまで監禁し拷問し続けるという方策を取ったためでした。
これらの宗教迫害は、家庭連合(旧統一教会)において現在も行われています。
4300件以上に及ぶ拉致監禁を伴う脱会説得事件という深刻な人権侵害が行われていることを、広く知らせるべきことであると痛感いたします。