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【B-Life『世界家庭』コーナー】
砂漠と炎熱のイスラムの国から
北アフリカ・スーダン日誌⑫
世界最強のスーダンのオバタリアン

 2015年から2016年まで『トゥデイズ・ワールド ジャパン』と『世界家庭』に掲載された懐かしのエッセー「砂漠と炎熱のイスラムの国から 北アフリカ・スーダン日誌」を、特別にBlessed Lifeでお届けします!

 筆者の山田三穂さんは、6000双のスーダン・日本家庭です。

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 イスラム社会の婚姻は、まず男性が結婚したいと思っている女性の父親または後見人に申し込みをしなければなりません。

 娘の結婚の決定権は父親にあるので、娘の意思に関係なく事は進み、結婚式まで相手の男性を知らないというケースもあります。これは、イスラム社会が徹底した男性中心の世界だからです。父親の承諾を受けたら後日、セイラ(結納)を行います。

 セイラの日、男性は大きなスーツケースを抱えて自分の親族と共に女性の自宅を訪ねます。スーツケースには結納金と、花嫁への贈り物である結納品(ウエディングドレス、靴、カバン、金の腕輪、トップ、香水など)がいっぱい詰まっています。

 婚約が成立すれば、結婚証書(結婚の契約書)に男性と女性の父親が署名し、結婚証書をモスクまたは裁判所に提出してから結婚式を挙げます。

 以前、夫の従弟がセイラに行くというので、従姉と一緒について行ったことがありました。従弟は女性の父親が待つ部屋に通され、私と従姉は持参したスーツケースとともに奥の母親の部屋に入りました。そこには母親のほかに数人の女性がいて、私たちを歓迎してくれたのです。

 そこまでは良かったのですが、母親が皆の前でスーツケースを開けて品々を見ていると思ったら、突然「中味が粗末過ぎる。これでは娘を嫁にやれない!」と言い出したのです。私たちは慌ただしくスーツケースを閉じて帰って来ざるをえませんでした。

 そのことを大使館の書記官に話したら、「〝私の娘はそんなに安くない〟ということなんでしょうね?」と言っていました。結局、従弟の結婚は破談となったのですが、最終的に娘の結婚を決めるのは、実は母親だったことが分かりました。

 表向きは完全な男尊女卑社会ですが、女性たちは決して男性に支配されて忍従の生活を送っているわけではありません。女性たちは堂々とたくましく、したたかに生きていました。

 生活で必要なお金は夫が準備しなければならず、妻はそのお金でへそくりを蓄えるのです。夫は妻のへそくりを知っていても、妻のお金に手をつけてはいけないのです。

 また、スーダンの女性にはダイエットが必要ではありません。妻が太っていると美しいと言われ、夫は稼ぎが良く甲斐性があると見られます。私は体質的に太れないため夫が「あなたがやせているので、私は甲斐性なしと思われている」と笑って言ったことがあります。領事館の日本人男性は「日本とは美の感覚が違うのですね」とつぶやいていました。

 1989年頃、日本に帰省したとき、オバタリアンという言葉がはやっていました。テレビをつけるとオバタリアン特集をやっていて、〝大阪のオバタリアン〟を紹介していたのです。それを見てスーダンのオバタリアンは、その上をいく世界最強だと思いました。

 例えば、ラッシュアワーのときでも、乗車の順番を待たずに、車窓からカバンをポイと入れて席を確保し、車掌から「もう満席だ」と言われても、「私のカバンがある」と言って強引に乗り込み、カバンを置いた席に何事もなかったように座るのですから。

 ハルツームから車で5時間ほどの所にベラウイヤ村があり、そこには、紀元前に3人の黒人の女王が治めたと言われる王国の神殿跡とピラミッドがあります。それを見ながら、スーダンの女性の強さは紀元前から始まっていたと思いました。

▲民族衣装のトップをかぶり、道端でピーナッツを売るスーダン人女性

 私はそんな強く、たくましく、明るく、厚かましいスーダンのオバタリアンが大好きです。

※オバタリアンとは図々しい、羞恥心がないなど、おばさん特有の性質を持つ中年女性。1989 年の流行語

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(この記事は、『世界家庭』2016年8月号に掲載されたものです)