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【B-Life『世界家庭』コーナー】
砂漠と炎熱のイスラムの国から
北アフリカ・スーダン日誌⑪
断水と停電は当たり前。文句を言ってもどうにもならない

 2015年から2016年まで『トゥデイズ・ワールド ジャパン』と『世界家庭』に掲載された懐かしのエッセー「砂漠と炎熱のイスラムの国から 北アフリカ・スーダン日誌」を、特別にBlessed Lifeでお届けします!

 筆者の山田三穂さんは、6000双のスーダン・日本家庭です。

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 夫が9歳のとき(1960年)、スーダンの各家庭に水道管が敷かれました。夫は当時のことを「蛇口をひねったら、水が降ってきたので感動した」と話してくれました。それから、56年たちましたが、断水は頻繁に起きています。停電もまたしかりです。

 ナイル川を水源として浄水場と発電所を通過して、各家庭に水と電気が送られています。ところが、浄水場と発電所の規模は少しずつ拡大してきてはいますが、人口は年々増加しているため、供給が需要に追いつけずにいるのが現状です。そのため、水と電気がときどきストップしてしまいます。最近はミネラルウォーターが店頭に並ぶようになりましたが、高くて手が出ません。

 断水は予告もなくやってきます。半日か丸一日、時には2、3日と水が出ないこともあります。それでも抗議のデモが起きないのは、文句を言ったところでどうにもならない、ということを知っているからです。それに暑いので、人々は、余計な体力の消耗を好みません。

 お嫁に来たての頃の私は、断水になると、「日本では突然1時間も水道が止まったら、水道局に抗議の電話が鳴りっぱなしのはずよ!」と、夫に向かってかっかと熱くなっていました。その姿を見ていた姪から、「ミホ、何を怒っているの? 暑いのに」と言われ、一気に冷めたことがありました。

 住人の中には、貯水タンクを持っている家があるので、そこにバケツを抱えて水をもらいに行きます。その水を少しずつ使いながら、ひたすら水が来るのを待ち続けるのです。

 または、昔から使われている井戸まで水を汲みに行きます。その水をゼイという素焼きのかめに入れるのですが、放置しておけば不純物は沈むので、うわべの澄んだ水を使うことができます。水がめの水は冷蔵庫ほど冷たくはありませんが、ひんやりしておいしいのです。

▲各家庭にあるゼイという素焼きの水がめ。冷蔵庫の普及で少しずつ減ってきている

▲家庭で備えている貯水タンク

 電気は夜になればほぼ戻ってきます。扇風機を回せば、少しは涼しく、眠りに就くことができます。

 実は、スーダンで暮らして、いちばん葛藤したのは断水より、衛生観念の違いでした。

 あるとき、夫に、「断水がよくあるので、飲料水を貯める大きなバケツを買ってください」と頼みました。すると、「水なら、ちゃんとバケツに貯めてあるよ」と言うのです。それは、なんと掃除用のバケツだったのですが、夫は「ちゃんと洗ったから大丈夫」と平然としていました。

 またあるときは、隣で暮らす夫の姉が、私が洗濯をするときに使っているアタッシュ(鉄製のたらい)を借りに来ました。見ると、姉はそれで食器を洗い始めました。驚いて、「やめたほうがいい。それで息子のオムツを洗っているから」と止めたのですが、「問題ない」と相手にしてもらえませんでした。あとから、たらいは洗濯物を洗うときにだけ使うものではないと知ったのです。

 水道の蛇口は、最近は台所に設置する家庭が増えましたが、ほとんどの家庭は庭の隅にあります。バケツに汲んで台所に持っていき少量の水で洗い物をするのです。すすぎは、ぱっぱっと水をかける程度で終わりですから、「これできれいになったの?」と思うくらいです。昔、蛇口から直接、食器を洗ったことがあって、姉から「もったいない!」と注意されました。

 ここでは庭に水を一滴でもこぼせば、そこにありが群がるほど水が貴重です。洗濯物と食器洗いのたらいは同じ、断水と停電が起きても、野菜に少し土が付いていても、これが当たり前の世界です。

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(この記事は、『世界家庭』2016年7月号に掲載されたものです)