2024.04.16 22:00
小説・お父さんのまなざし
徳永 誠
父と娘の愛と成長の物語。
誰もが幸せに生きていきたい…。だから人は誰かのために生きようとします。
第20話「祝福も愛も神が下さるもの」
祝福結婚式は月曜日、「昭和の日」の祝日に行われる。義母シホは2日前の土曜日に大分から上京した。
私とナオミは羽田空港でシホを迎えた。シホはあいさつもそこそこに、高校生になったナオミの両手を固く握って「ナオミちゃん、改めて合格おめでとう。本当に良かったわね」と満面の笑みで祝福した。
「タカシさん、わざわざ空港まで迎えにきてくれてありがとう。せっかくのお休みにごめんなさいね」
「いえ、とんでもないです。このたびは、わざわざ東京まで来てくださってありがとうございます」
「お父さまとお母さまはお元気でいらっしゃる?」と、シホは私の両親の健康を気遣う問いかけを発するも、私の返答も待たず、「タカシさん、実は相談があるの…」と切り出した。
まさかドタキャン? いや、それはないだろう。祝福結婚式への参加をキャンセルするなら、こうやって東京に出てくるはずがない。
「明日は日曜日でしょ? 都内に住んでいる友人が通っている教会が四谷にあるの。主日ミサにタカシさんとナオミと私の3人で参加できないかしら」
「え? 私とナオミも、ですか。…そうですねえ…」
私は一瞬ちゅうちょした。日曜日は両親と義母を家庭連合の礼拝に参加させたいと考えていたからだ。
妻のカオリならどうするだろう。
そんな思いを巡らせた瞬間、私は背中を押されるように、「いいですよ。3人で主日ミサに参加しましょう」と答えていた。
心の中では「神様はどこにでもいらっしゃるわよ」というカオリの声が響いていた。
ユダヤ教の神、キリスト教の神、そして家庭連合の神も、確かに理解の仕方に多少の違いはあるが、同じ神ではないか。
シホは再びナオミに満面の笑みを向けた。
「ナオミちゃんもいいでしょ? 明日はおばあちゃんの通っているカトリック教会の主日ミサに参加するってことで。ね?」
中2の夏休みを湯布院で過ごした時、ナオミはすでに何度かシホの通う教会のミサに参加していた。家庭連合の礼拝との違いを感じることもあったが、だからといって違和感や嫌悪感を持ったことはなかった。むしろナオミはカトリック教会の雰囲気を好んで受け入れていたといっていい。
その日の夕食の時間は、シホの歓迎と共に、家族皆そろってのナオミの入学祝いの場となった。祖父母たちは孫娘の新たな門出を共に喜んだ。
カオリの父シュウサクが2年前に亡くなってから、シホとの交流の機会はナオミだけでなく、私との間でも増えていた。おのずとシホの信仰に対して寄り添う私の気持ちも強くなっていた。
翌日、午前9時30分から始まる主日ミサに参加するために私たちは早めに家を出た。シホにとって慣れない交通手段を使っての移動となるからだ。
高齢となったシホに無理は禁物だ。ゆっくりと余裕を持って動かねばならない。それは、シホにいつも寄り添っているカオリの思いでもある、と私は感じていた。
カオリは、大学3年生の夏休みの前まではカトリックの教会に通っていた。それは、大学3年までカオリの家族は皆同じ教会に所属していたことを意味している。
カオリの両親は互いに同じ信仰を持った者同士の出会いによって結婚に至ったが、それぞれがカトリックの信仰を持ち始めた時も、結婚する時も、両家の親兄弟から強い反対を受けた。
すでに親たちは他界していたが、信仰故に親子の間に生じた傷は癒えないままだった。
だからこそ、なのかもしれない。カオリの父シュウサクと母シホにとって、親子が同じ信仰を共にすることへのあこがれは強く、それが宮田夫妻の夢でもあったのだ。
大学3年の夏、カオリが家庭連合の信仰を持つようになることで、宮田夫妻の夢はついえてしまった。少なくとも、シュウサクとシホの喪失感は小さくなかった。
宮田夫妻が所属する教会の信者たちのほとんどは家庭連合を異端視し、嫌悪していた。
シュウサクとシホのカオリに対する愛情が変わることはなかったが、一人娘が家庭連合の信仰を持つようになったことは、二人だけの隠し事となった。
やがてカオリが私と結婚し、ナオミが生まれる。
シュウサクとシホは人格的な振る舞いに終始し、父母として、祖父母としての愛情を私たちに向けた。感情的に接することは決してなかったが、信仰の違いによって生じた溝は冷たい氷で覆われたままだった。
カオリが大病を患い、36歳の若さであっという間に地上での生を終えた時、シュウサクとシホは娘の死を静かに深く悲しんだ。そして終わりのない忌服(きふく)の時間を過ごしたのだ。
四谷にあるカトリックの教会に着いた時、3人を迎えてくれたのは、シホの学生時代の友人であり、信仰を同じくするシホと同郷の女性だった。
シホは義理の息子である私と孫娘のナオミを友人に紹介した。私とナオミは笑顔で応え、聖堂の中ほどに4人で並んで着席した。
主日ミサは1時間半ほどの時間をかけて行われた。私とナオミは聖体拝領にあずかることはなかったが、私はシホの敬虔(けいけん)なクリスチャンとして生きてきた人生に敬意を表したいという思いに駆られた。
「主よ、感謝します」
そんな言葉が自然に心から流れ出た。
私の初めての主日ミサは、カオリが家庭連合と出合う背景に、両親の信仰への精誠があったことを身に染みて実感する時間ともなった。
「タカシさん、主日ミサに初めて参加した感想はいかが?」
「不思議なぐらい、感謝の心で満たされました。カトリックの伝統の一端に触れて、キリスト教の歴史の重みといいますか、信仰や宗教の持つ力を改めて感じることができる時間でした。参加できて本当によかったです」
私は感じたままを素直に表した。
「ありがとう。うれしいわ」
「おばあちゃん、ママも教会に熱心に通っていたんだよね?」
「そうね。カオリはイエス様が大好きで、聖書をよく読んでいたわねえ。高校生の頃はイエス様のように神様の愛を行動で示す人になりたいってよく言っていたわ」
ナオミは中2の夏休みの「巡礼の旅」以来、祖母であるシホを通して母カオリの生きた証しを見いだしたいと望んだ。シホも全力でそれに応えた。
主日ミサを終えた私とナオミは、シホの明るい笑顔に促されながら、教会のすぐそばにあるキリスト教の書店にいざなわれた。
しばらく店内を見回った後、シホはナオミに本をプレゼントしたいと言った。
「ナオミちゃん、何か読んでみたい本とか、気になる本はあった?」
「そうだね。読んでみたいなって思う本はあったけど、今日はせっかくだから、おばあちゃんのお薦めの一冊を教えてほしいな」
「そう? いいわよ」
シホは文庫本の並ぶ棚から一冊の本を取り出し、ナオミに手渡した。
「この本はどうかしら?」
『塩狩峠』
「クリスチャンの小説家、三浦綾子さんが書いた代表作よ。ナオミちゃんは読んだことある?」
「題名は聞いたことあるけど、まだ読んだことはないわ。おばあちゃんのお薦めなら、ぜひ読んでみたい」
「カオリも高校1年生の時に読んで、すごく感動したって、興奮していたのを今も覚えているわ。ぜひ感想を聞かせてね」
『塩狩峠』の中に、カオリが伝えたいメッセージがある、とナオミは直感した。
「タカシさん、少し3人で歩かない?」
私もナオミも、シホと過ごす時間がいとおしかった。
そしてその時間は、3人だけではなく、カオリとシュウサクも一緒にいる時間だと分かっていた。
すでに桜の開花は終わっていたが、若葉のまぶしい季節だ。私たちは皇居の千鳥ヶ淵公園までの道のりを楽しんだ
時計は午後1時を回っていた。腹の空き具合もちょうどいい。私たちは近くのコンビニで昼食を買い求め、公園のベンチに座った。
「タカシさん、今日はありがとう。…ずっと胸につかえていたものが解けた感じがするの。タカシさんとナオミちゃんのおかげね」
「おばあちゃん、私、おばあちゃんにお礼が言いたいな」、ナオミが前を向いたまま、問わず語りに話し始めた。
「中学生になってすごく悩んでいた時、湯布院のおばあちゃんの家で夏休みのほとんどを一緒に過ごしたことがあったでしょ? あの時すごく楽しかったし、おばあちゃんにいろんなことを教えてもらったの。おばあちゃんを通してママのカタチが見えてきたっていうか、おばあちゃんとの思い出はママとの思い出なんだなあって思えたの。おばあちゃんからたくさんママを感じることができたんだよ。ママはおばあちゃんから生まれてきて、私はママから生まれてきたんだなって…」
シホは泣いていた。込み上げてくる熱い涙を抑えられなかった。
二人はつながっていた。
ナオミとシホの心情の絆に応えるように、若葉が繁茂する樹木たちがさわさわと揺れていた。
「ナオミちゃん、おばあちゃんこそ、お礼を言いたいわ。家族は共に生きているんだってこと、親子は共に育つ存在なんだってことを、ナオミちゃんを通して教えてもらったのよ。
カオリとそのように生きたかったのに、それができていなかったんだなって…。
家族って何なのかなって悩んだこともあったけど、家族が向き合うことで神様の愛は流れてくるんだなって分かったの」
明日はいよいよ祝福結婚式が行われる。
「祝福も愛も神が下さるもの」
気持ちのいい日曜の午後。
木漏れ日の中からそんな声が聞こえた。
【登場人物】
●柴野高志(タカシ):カオリの夫、ナオミの父
●柴野香里(カオリ):タカシの妻、ナオミの母、ナオミが6歳の時に病死
●柴野直実(ナオミ):タカシとカオリの一人娘
●柴野哲朗(テツオ):タカシの父、ナオミの祖父
●柴野辰子(タツコ):タカシの母、ナオミの祖母
●宮田周作(シュウサク):カオリの父、ナオミの祖父、ナオミが14歳の時に病死
●宮田志穂(シホ):カオリの母、ナオミの祖母
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次回もお楽しみに!