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小説・お父さんのまなざし

徳永 誠

 父と娘の愛と成長の物語。
 誰もが幸せに生きていきたい…。だから人は誰かのために生きようとします。

19話「おまえに言われたから祝福を受けるわけじゃない」

 祝福結婚式を数日後に控えたある日の朝のことだ。
 父が珍しく玄関先まで出てきて出勤前の私に声をかけた。

 「今日は何時に帰ってくるんだ?」

 「いつもどおりの予定だけど、何かあるの?」

 「実はお前に話しておきたいことがあってな」

 私はどきりとした。父が改まって話がしたいなどと言うことはめったにないことだ。もしやドタキャン?
 「祝福結婚式には参加しない」という、最悪の状況を反射的に思い浮かべながらも、私は冷静さを装った。

 「いいよ。夕食後にお茶でも飲みながらどう?」

 「ああ、分かった。じゃあ、今晩な」

 その日、私は一日中落ち着かなかった。悪い方にばかり考えてしまうのだ。
 しかしこういう時にさっと祈ることができないのが私の課題だった。

 とにかく妄想にとらわれてしまうのだ。それも極めて悲観的なストーリー展開のシナリオを選択してしまいやすい。それは、傷ついたりショックを受けたりすることから逃れようとする防衛本能にも似た心理なのかもしれない。

 両親を祝福に導きたいという思いはずっとあった。
 「神様は万人を祝福したいのよ」というカオリの言葉は今も忘れてはいない。それが神の願いだと心から信じてもいる。
 しかし祝福を受けるという約束はしてもらったものの、私には、両親にも義母にも十分にその意義や価値を伝えられていないのではないかという負債感があった。

 ここまで来られたのは、まさに霊肉界合同作戦のたまものだ。それは認める。
 私は、ナオミの成長と共に、カオリの地上への働きかけが強くなっているのを感じていた。

 見えないけれど、カオリは家族と一緒にいる。この空気感は、他人にとってはなんとも理解し難いものだろう。
 しかし言葉には出さないが、それは家族皆が分かっていることだった。

 それは義母のシホにとっても同様だった。
 シホの様子が以前と比べて少し変わったのは、ナオミが中2の夏休みにシホの家で長期間一緒に過ごした後からだ。
 シホ自身もそう感じていた。自分の心のありさまだけでなく、家の中の「空気」が変わったようだと。
 『「空気」の研究』の著者、山本七平の言う「臨在感」とでもいおうか。

 ナオミはムードメーカーだ。ナオミと共に空気は変わる。両親も義母も、ナオミと交流することで元気をもらった。
 表情を見ればそれは一目瞭然だった。周りの空気がパッと変わるのだ。敏感な人であれば、臭いや色の違いまで感じ取るかもしれない。

 ここでいう「空気」は、「霊界」と置き換えてもいい。

 霊界の仕組みや法則というものはどうなっているのだろう。
 統一原理の学びで得た内容が私の霊界観のほとんどであったが、李相軒(イ・サンホン)先生やスウェーデンボルグ、シュタイナーらの霊界見聞録も私は大いに参考にした。それが主観的なものであったとしても、未知の世界を知るための一つの手掛かりにはなると考えたからだ。

 私にとって霊界は、未知の外国を訪ねるようなものだ。あるいは霊界からの来訪者との交流は、未知の外国人との出会いのようなものかもしれない。
 しかしそれが身内となれば話は別だ。家族愛という共通のコミュニケーション言語があれば、愛と信頼の力によって次元の違いによる壁や溝も乗り越えやすくなる。

 祝福は永遠の生命、永生を懸けた問題である。私はそう信じている。
 だからカオリと初めて出会った時の会話でも、「あなたにとって祝福とは何か」と問われて、私は「永遠の関係」だと答えた。そしてカオリの答えが「理想家庭」であったことも、愛の世界である霊界という存在を大前提としていたからこそだと、今は思える。
 私たち人間の生きる意味は、霊界の存在を抜きには考えられないことなのだ。

 その日は仕事をしながらも、頭の中では一日中「祝福の意義と価値」や「霊界の実相」の講義が繰り返し流れていた。

 夕食後、母とナオミは別室へ。父と私はダイニングテーブルをはさんで対峙した。

 対立しているわけでも、にらみ合っているわけでもないが、父はただならぬ表情を浮かべていたし、私の顔も緊張でこわばっているのだから、他人から見れば、対峙以外の何物でもなかったはずだ。

 私はコーヒーを一口ごくりと飲み込んで父の様子を一瞥(いちべつ)した。するとそれを合図とするかのように、父は食後に欠かさず飲んでいる煎茶をすすりながら話し始めた。

 「おまえも早くに妻に死なれて大変だったな。しかしナオミは立派に育っているよ。おまえもよくやってる」

 「そりゃあ、お父さんとお母さんのおかげだよ。定年を迎えてこれから夫婦でゆっくり過ごす時だったのに、本当に苦労をかけてしまったと思っている。お父さんとお母さんが同居してくれていなかったら、ナオミも自分もどうなっていたか分からないよ」

 「そんなことはない。おまえはよくやっているよ。俺は感心してるんだ。俺なりに息子と孫娘のことはよく見てきたつもりだ。人生、そりゃあいろいろあるさ、いい時も悪い時も。だがな、ナオミを見れば父親のおまえの子育ては花丸だったってことだよ」

 父が私の子育ての評価を伝えるために「話がある」と言ったわけではないことは分かっていた。本題はこれからだ。

 父はナオミのいいところを挙げながら、表情を和らげた。ナオミのことが話題に上るだけで空気が変わるのだ。

 「俺はな…」と、父は序論から本論に話を移す。

 「俺はな、おまえに言われたから祝福を受けるんじゃないんだよ。自分から祝福を受けたいと思っている。人生、70年以上生きて、すでに80も間近だ。俺もそろそろ人生を総括する時期を迎えていると考えているんだ。
 祝福のことをおまえたちのようには理解してはいないかもしれんが、自分なりにも祝福というものが人生を大きく変えるものになることは分かっている。教会のことも、おまえたちを見ながら、少しは理解しているつもりだ。
 母さんとも話した。祝福を受けるのは、先祖のため、おまえのため、孫のためだと考えている。もちろん、カオリさんのためにもだ。だから、カオリさんのご両親にも祝福を受け入れてくれるなら、そうしてほしいと思っているんだ」

 父の話を聞きながら、予想外のシナリオの展開に私は驚いていた。緊張は興奮に変わっていた。ドタキャンどころか、力強い参加表明ではないか。

 祝福式は「昭和の日」に行われる。
 父は祝福式の日が「昭和の日」であると聞いた時、心から喜んだ。「祝日は祝福の日の略だ」とか「この日は大安だからめでたい」などと雄弁になった。
 それは、「昭和」に生きた自分が新しい人生を始めるのにふさわしい日だと確信したかったからだ。

 祝福結婚式に参加した後、両親は故郷の青森に帰ることになっている。
 とりわけ父には、故郷に戻って人生の仕上げともいうべき時期をこれから生きていくのだ、という強い意志があった。

 「還故郷」

 ふと、その言葉が思い起こされた。
 祝福を受ければ、祝福家庭と呼ばれるようになり、祝福家庭は周辺の人々と祝福を分かち合い、さらに氏族のメシヤの立場に立って、故郷を神の願う世界に再創造していく使命が与えられる。それが家庭連合の教えだ。

 父と私の話し合いが終わるのを待っていたかのように母とナオミがダイニングルームに入ってきた。

 「さあ、イチゴでも食べましょ」と母。ナオミも母の調子に合わせて、「そうしましょ」と返す。パッと部屋の空気が一段階明るくなる。

 3日後には大分の義母が上京する。教会は母と義母のために純白のウエディングドレスを用意してくれている。
 祝福の一日はきっと忙しくなる。当日の午前中は「祝福の意義と価値」の講義を受講し、聖酒式と蕩減棒儀式が行われる。そして午後にはいよいよ祝福結婚式だ。

 その日、カオリの両親も祝福家庭になるのだ。
 私は父が語ってくれた思いを義母とも分かち合いたいと思った。

 祝福は無限の恩恵が与えられるものであると同時に、果たすべき責任も付与される。
 使命が大きいからこそ、私たちは連携し、助け合うべきだ。
 だから「家庭連合」なのだ。

 人類一家族世界実現という祝福に懸けられた神のみ旨(むね)は、ナオミたち次世代にも引き継がれていく。
 祝福の一日は、ナオミにとってもきっと大事な一日になるだろう。

 私は隣にカオリの存在を感じながら、受話器を手に取った。


登場人物

●柴野高志(タカシ):カオリの夫、ナオミの父
●柴野香里(カオリ):タカシの妻、ナオミの母、ナオミが6歳の時に病死
●柴野直実(ナオミ):タカシとカオリの一人娘
●柴野哲朗(テツオ):タカシの父、ナオミの祖父
●柴野辰子(タツコ):タカシの母、ナオミの祖母
●宮田周作(シュウサク):カオリの父、ナオミの祖父、ナオミが14歳の時に病死
●宮田志穂(シホ):カオリの母、ナオミの祖母

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 次回もお楽しみに!

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