https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=22576

心情開拓
心霊を育てる生活原則(151)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』200549日第3版発行〉より)

12 第37年路程を走り抜くに当たって
(1976年1012日 東京教会)

▲李耀翰先生

憐れみの心をもって

 だから日本の教会は、特に先生もずーっと期待されて、愛されているのです。この基台という問題で、ちょっと話したいのですが、無形世界に尽くす基準を横的に人間関係に結ばないと、基台にならないのです。今はその基台の上に善の主権を立てようとする、再臨しようとするのが霊界での願いであるのです。だからそういう基台なしに霊通した人は、みな崩れたでしょう。ほとんど基台のない人の霊通は崩れたのです。

 だから兄弟の中で霊通した人は、みな兄弟関係が悪いでしょう。あまり明朗に人と交わらないでしょう。そういう人は、みな霊通するでしょう。霊通して崩れてしまう。自分が崩れてしまうでしょう。ほとんどそうなのです。

 100パーセントそうなのです。人とあまり話さない人は、だれと通ずるかというと、霊と通じやすいのです。行く所がないのです。人間と通ずるか、霊界と通ずるか、そのどちらしか行く所がないのです。だから修練会の時、いつも脱線する人はだれかというと、自分の宿舎に入っても、勉強する時もじっとしてあまり話さない人です。そういう人が、その霊界の雰囲気の中に刺激を受けるものだから、すぐに霊的に侵入されるのです。

 その人の情の流れを見ると、これは危ないとすぐに分かります。経験からずーっと見ると、そうなのです。だから皆さんも、自分の情の流れが、そばにいる人にすぐ接しやすいか、接しにくいか、自分が知っていればいいのです。

 自分が自分にとらわれているか、未来に対して相当引かれている自分であるか、希望に光るのか、今まで暮らしている仕事にとらわれているのか、それで自分もどういう立場で危ないか、成長し発展性のある自分かを分別できるのです。自分の情の流れを見れば分かるのです。

 憐(あわ)れみをもった人。このような人は、とても安定した人です。カインを自然屈服するのは、憐れみの豊富な人です。そうでしょう。憐れみの豊富な人は、カインを自然屈服できる原動力をもった人です。人の悲しみが自分の悲しみのごとく、泣くぐらいの人は、本当に基台をつくる財産をもっているのです。

 それから、悲しい人をもっている人は、原動力の根っこをもっているのです。アベルをもっている人、恋しい人をもっている人は、根っこをもっているのです。

 根をもっている人は、無限にながらえる背後関係をもっている人です。私は侍りたくない、こういう人は危ないのです。そういう人は、精神的にすぐ枯れてしまいます。根っこがないからです。そういう経験は、三年以上になった人たちは、ほとんどもっていることと思います。自分の心霊が育つ時、ぐんぐん何か上がる時は、主体者をもった時であり、下がる時には、主体者と自分との関係がちょっと薄くなった時です。

 教会よりも自分の家を心配したり、教会よりも自分が今までやろうとしたことを心配したり、とにかく、縦的関係が弱くなる時には、今までの自分の事情が自分に襲ってくるのです。

 そういう時には、今まで自分がもっていた目的観が弱くなっていくでしょう。そういう経験を相当したはずだから、自分が今、復活成長する可能性のある心情をもっているか、もっていないかは、自分自身が知らなくてはならないと思います。

 だから根っこをもった自分、基台をつくり得る、憐れみをもった自分にならなければなりません。そのような人々は、自分の価値を知った人たちです。人々は、自分の価値をどのように発揮したいかというと、主体者によって発揮したいのです。

 主体者に愛されると、自分の価値を重んずるようになるのです。神に愛される者は、自分を神のものと見るようになるのです。愛されると、自分を本当に自分のごとく思わないのです。主体者に愛されると、自分が自分でないように思われてくるのです。そうすると、必ずそうでない人を見た時に、憐れみが流れ、憐れみがその人に引かれていくのです。こうなった時、基台をつくり上げるのです。

---

 次回は、「基台の上に霊界が総動員」をお届けします。


◆『心情開拓』を書籍でご覧になりたいかたはコチラ