2024.04.05 17:00
心情開拓
心霊を育てる生活原則(150)
原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。
李耀翰・著
12 第3次7年路程を走り抜くに当たって
(1976年10月12日 東京教会)
基台の上に現れる
今度のワシントン大会を通じて、先生は全世界に現れたのです。イエス様は聖霊を通じて、地の果てにまで現れました。先生は何千人という子女を中心にして、世界に現れたのです。ワシントン大会は、先生の名前を全世界に知らせるための大会だったのです。
その知らせのあとは、霊界は総動員して先生を紹介するのです。これからは、霊界が担当して伝道する時代に入っているのです。
このような勝利の基台をつくり上げて、そのあとには、私たちが現れなければいけません。これからは、子女たちが現れる時です。どのように現れるかといえば、自分の基台を積み上げながら、現れるのです。基台は何かというと、信じられながら、侍られながら、愛されながら、現れるのです。
先生は奇跡的に現れたお方ではなく、相当侍られ、愛され、相当信頼され、親の使命を果たして現れているのです。奇跡を起こして現れたのではないのです。イエス様は、奇跡を通じてイスラエルに現れたのです。だから、基台がないのです。先生の場合は、霊界を通じて現れたのではなく、私たち兄弟を通じて現れたのです。だから、基台をつくり上げながら、現れたのです。
だから、両面あるのです。私たちも、霊的に何か動機があって信仰し始めた人と、人間関係が良く、相当信じられ、人に褒められながら、本当に愛されながら、人に相当尽くしながら信仰し始める人と、二通りあるのです。み言(ことば)を聞いて祈祷しながら、霊的に何か夢で刺激を受けながら行く人、これは基台がないのです。み言に霊的に刺激を受けながら行く人は、基台がないのです。
そういう人は危ないのです。しかし、それを知らないけれども、み言を聞いて人に尽くして、人に何かプラスなり人の事情に相当負債を与えながら信仰していく人は、基台があるのです。そういう人は、人格的にも、備えられているのです。人に心配かけずにプラスしながら行く人は、霊界に相当恵沢を与え、霊界に負債になっていない人なのです。
イエス様についていえば、奇跡を通じて人を信じさせようとしたのは、相当霊界に負債になっているのです。
だから私たちも、二通りの食口(シック)があると思います。本当に祈祷生活とか、無形世界に一生懸命に真心を尽くすのですが、人間にはそうしない人がいるのです。これは危ないのです。
無形世界に一生懸命に念を入れる人、人間に相当尽くす人。二通りあるでしょう。しかし、どういう人が多いかというと、信仰生活では、霊界に尽くす人が多いのです。祈祷は一生懸命しても、そばにいる人には関心をもたないのです。日本人はそうでないかもしれませんが、韓国では山に行って、食べずにやせて、祈祷する人が多いのです。それで霊的、儀式的です。あるいは信仰精神は強いけれども、人間に対して、自分の家族に対して、あるいはこの社会に対して別に関心をもたないのです。
しかし先生はそうではありません。私たちの教会はそうではなく、世間の人間が「何か野望をもっているのではないか」と色眼鏡で見るほどに、積極的に社会に干渉し、社会に投入し、参加するのです。それはなぜかというと、私たちは基台をつくりながら、発展しなければならないからです。だから今までの宗教家の中で、先生のように生活した人がいないと言ってもいいくらいなのです。
だから、私たちの兄弟の中にも、分けてみれば、人にプラスになる人より、無形世界にプラスにしようとする人のほうが多いでしょう。礼拝に熱心に参加したり、あるいはろうそくを使って断食したり、徹夜したり、そういう人は多いのですが、人の事情にプラスしようとして人と関係を結ぶとか、その基台をつくる面においては、とても疎外していて、無視している人が多いのです。
日本に来てみて、韓国と違うのは、人に良くすることです。韓国人は、無形世界に徹底しているけれど、人に対しては、ちょっと差別するのです。日本人は、そこが違うように見えます。私はまあ、内的に霊眼がちょっと暗いから分からないけれども。
皆さんが、あいさつをとても丁寧に、何回もやるのを見てもそう思います。私たち韓国人は、一度すればそれで終わりなのですが、日本人は3回以上するでしょう。
そのほうが原理的です。なぜかというと、人間が重要だから、人間と一体になるのが重要だからです。私はあまり知らないのですが、日本は、昔からそういう伝統があるらしく、日本は人間関係を重視するのではないかと思います。
だから皆さんが暮らすのを見ても、あまり葛藤(かっとう)しないでしょう。韓国は、相当ぶつかるのですが、皆さんはあまり葛藤しません。何百名いても、一人で暮らしているように静かです。それを見ると、本当に見習う面がたくさんあると、私たち韓国人は感心しているのです。
韓国の修練所で、修練会が終わってから和動会をしてみると、全部一人ずつ出て、二人では出てこないのです。しかし、日本の食口が和動会をやると、全部合唱団です。
もうすべて反対なのです。これは本当に人間関係を結ぼうとする努力で、そういう伝統ある民族だと思います。
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次回は、「憐れみの心をもって」をお届けします。