2024.04.08 12:00
私の心の中にいる神様 4
良心との対話で、ワクワク感が止まらない!
毎週月曜日に配信予定です。
私を幸せに導いてくれる良心
私は公職者(教会の職員)の両親のもと、一人っ子として育ちました。
私が3歳の時のことです。「安侍日(アンシイル)」の朝、あまりの眠さにだだをこねて、母に当たり散らしてしまったことがありました。するとそれを見た父がキレて、私を玄関まで引きずっていき、「出て行け」と言ったのです。
以来、そのことが恨みになり、父に対して完全に心を閉ざしてしまいました。遊びに連れていってもらっても楽しくなかったし、親子らしいけんかもしたことがありませんでした。
ところが、大学生になって21修に出た時、閉講式で、「親の愛を父親からも母親からも感じられないと、本当の意味で天の父母様(神様)の愛を感じることはできない」という話を聞いたのです。衝撃でした。帰りの電車の中でも、そのことが忘れられず、悶々(もんもん)としました。私は必死で、「どうしたらお父さんの愛を感じられるのだろう」と良心に尋ね求めました。
心の整理がつかないまま家に着き、母に21修の報告をしていたところ、「(単身赴任中の)お父さんにも電話したらいいよ」という良心の声が聞こえてきたのです。しかも、「テレビ電話がいいね」と。
それまで自分から父に話しかけたことはなく、ましてや電話をするなどもっての外でした。うろたえる私にお構いなく、良心は「電話したらいいよ」と言い続けるのです。激しく葛藤しましたが、ついに「良心の声に従ってみよう」と心を決めました。
いざiPhoneの画面に父の顔が映ると、戸惑いましたが、父の目をじっと見詰めた時に、小さい頃の父との良い思い出がよみがえってきました。公園で遊んでもらったこと、プールに連れていってもらったこと、アイスを買ってもらって一緒に食べたことなどが、走馬灯のように浮かんできたのです。
その瞬間、「ああ、私は愛されていたんだ」という実感が心の底から湧き上がってきました。そして自然に、「今まで本当にありがとう。お父さん、愛しています」という言葉が口を突いて出てきたのです。自分でも不思議でした。
その時、私は初めて父の涙を見ました。祖父の葬式でも泣かなかった父が、画面の向こうで泣いていたのです。また、私と父の会話を台所でキュウリを切りながら聞いていた母も、泣いていました。家族が愛で一つになった瞬間でした。
私の良心は、私が一番したくないことを提示してきたけれど、その声に聞き従うことによって、何倍もの喜びが返ってきました。良心は、私が幸せになるように明確に導いてくれる第二の神様です。
---
次回は、「ほんとは好き!」をお届けします。