2018.09.16 22:00
幸福への「処方箋」 7
第一章 幸福と創造原理
神が人間に与えた三大祝福
アプリで読む光言社書籍シリーズ第4弾、『幸福への「処方箋」~統一原理のやさしい理解』を毎週日曜日配信(予定)でお届けしています。
野村 健二(統一思想研究院元院長)・著
神が人間に与えた三大祝福
この四位基台という概念を用いて、『聖書』が神の人間創造の目的をどのようなものととらえているかを見てみましょう。創世記一章二十八節には簡潔に次のようにしるされています。「神は彼ら(人間)を祝福して言われた、『実を結べ(Be fruitful)、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ』。」
(註)「実を結べ」のところが日本語では「生めよ」と訳されていますが、英訳ではBe fruitful、韓国語では「生育せよ」、原語(ヘブライ語)ではpa.ra.hとなっています。このpa.ra.hというヘブライ語は、「ヨセフは実を結ぶ若木(創世記四九・22)、「多くの実を結ぶぶどうの木」(詩篇一二八・3)などの用例からも分かるように、「実を結ぶ」(完成する)という意味に使われることが多い言葉です。植物の場合には、実を結べば、そこに同時に種子もできるので、「実を結ぶ」という意味と「生む」という意味とが同時に生じてきたのでしょう。ここでは、「生めよ」と「ふえよ、地に満ちよ」とでは意味が重複しますし、また、まず一個の個性的な人格として結実(成熟)することのほうが「生む」ことより先に来るべきで、成熟を待たずに子孫を生み殖やせば未熟な子孫ができて不幸の原因となるというところから、「実を結べ」(あるいは「生育せよ」)という訳の方が適切だと思われます。
創世記にあるこの人間に対する祝福の言葉から、統一原理では、これを「生育せよ、繁殖せよ、万物世界を主管せよ」という、神が人間に与えた「三大祝福」と見ます(講論六四頁)。
① 第一の祝福――個性完成
人間に与えられた三大祝福のうち第一の祝福は〝個性完成〟で、「神を中心として心と体とが創造本然の四位基台を完成した人間は、神の宮となって(コリントⅠ三・16)、神と一体となるので(ヨハネ一四・20)、神性をもつようになり、神の心情を体恤(たいじゅつ)することによって神のみ旨(むね)を知り、そのみ旨に従って生活をするようになる」(講論六六頁)と記されています。この心のことを統一原理では「性相」、体のことは「形状」と呼ぶので、これを図解すれば次のようになります。
ここで「神」とした部分は神の創造目的ともとらえられますが、もっと深くは神の「心情」と見るべきでしょう。これは人間の側から見れば、神の心情と一体となることで「神の実体対象」となることを意味し、神の側から見れば、人間が自己の心情と一体となることで「神の実体対象」となったことを意味します。神の側から見れば、自己の心情と一体となった人間を見て「喜びに満ちる」ようになることを意味する(講論六六頁)というのです。これが、神はなぜ人間を創造したかの理由だと統一原理は解き明かします。こうならなければ、人間は完全な幸福に達することは不可能ですが、神もまた幸福になることはできないのだというのです。
神は全能だから何でもできると思って、人間は往々自分が幸福になることばかりを考え、神のことを思いやりませんが、これが根本的な誤りだと統一原理は主張します。子供は親を喜ばせることで自分も幸福になるのですが、そのように神を喜ばせることによって人間は幸福になれる。この点に思い至らないのが人間の幼さだということを悟るべきでしょう。
「このように個性を完成した人間は、神を中心としたその心の実体対象となり、したがって、神の実体対象となる。ここで、その心と神は、このような実体対象からくる刺激によって、それ自体の性相と形状を相対的に感ずることができるので、喜びに満ちることができるのである」(講論六六頁)。これが、どうすれば神を喜ばせることができるかという課題解決の秘訣(ひけつ)であり、それが取りも直さず、自分が幸福になることのできる最短距離でもあるというのです。
「このように、個性を完成した人間は、神の喜怒哀楽を直ちにそれ自体のものとして感ずるようになり、神が悲しむ犯罪行為をすることができなくなるので、絶対に堕落することがない」(講論六七頁)。ここで、個性完成した人間とは、神の喜怒哀楽をそのままにストレートに感ずる人間であり、そのため自他を傷つける悪い行為をすることは不可能となるのだという重要な観点が提示されています。
② 第二の祝福――子女繁殖
このようにして個性完成がなされると、次には第二祝福です。「各々個性を完成した実体対象として分立された」男性と女性が夫婦となり、「合性一体化して子女を生み殖やし、神を中心として家庭的な四位基台」をつくることができるようになるとされます。統一原理では、男性のことを「陽性実体」、女性のことを「陰性実体」と呼ぶので、これを図解すれば次のようになるでしょう。
「このように、神を中心として四位基台をつくった家庭や社会は、個性を完成した人間一人の容貌に似るようになる」。その結果、「人間や神は、このような家庭や社会から、それ自体の性相と形状とを相対的に感ずるようになり、喜びに満ちることができる」(講論六七頁)。このように、幸福(喜びに満ちること)は、まず自分自身の個性を完成することが第一で、次に自分に似た子女を繁殖し、自分と配偶者と子女からなる家庭や、それらの個人や家庭の集まりである社会を、その個人に似せてつくっていくことが、次の課題となると統一原理は説くのです。
③ 第三の祝福――万物主管
ここで統一原理は、人間以外の万物(自然)について、「神は人間を創造する前に、未来に おいて創造される人間の性相と形状とを形象的に展開して、万物世界を創造された」(講論六七頁)という、新しい見方を提起します。時間的な順序から宇宙を見れば、ビッグ・バンに始まって、単純なものから複雑なものへと順次進化して最後に人間が出現してくるように見えますが、神から見れば、まず自分と同じ性質を万全に備えた我が子である人間が最初に構想され、その性相(精神的側面)と形状(物質的側面)の一部分を、順に単純なものから複雑なものへと展開させていったのだというのです。
そこで、「神の形象的(全面的)実体対象である人間」と、「その象徴的(部分的)実体対象である万物世界」とが、人間が主体、万物が対象となって、「愛と美を授け受けして合性一体化すること」(講論六八頁)。これが第三の祝福、万物主管の祝福です。ここで、「主体が対象に授ける情的な力を愛といい、対象が主体に与える情的な力を美という」(講論七二頁)。そこで万物主管の四位基台(主管的四位基台)を図解すれば次のようになるでしょう。
この主管には、動物園、植物園、博物館のような「飼育、鑑賞」と、工場、料理のような「加工」の営みがあります。前者は「合性体」、後者は「新生体」ということができましょう。
このように、統一原理の理論を踏まえると、幸福実現の道が次々に開けてくることが感じられるのです。(続く)
---
次回は、第一部 第一章の「間接主管圏と責任分担」をお届けします。