2024.03.20 17:00
共産主義の新しいカタチ 4
現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)
〈プロローグ・後編〉
現代社会をミスリードする3哲学①
まず、前回提起した「21世紀の共産主義」ともいうべき「共産主義の新しいカタチ」は、そのターゲット(攻撃目標)を、国家・基幹部分ではなく、それよりもっと根源的な文化・宗教全般に絞っていること、それがまさに「文化共産主義」と呼ばれるゆえんです。
つまり、いわば「ハードの革命」から「ソフトの革命」へと路線転換したのです。逆説的に言うと、国民の文化や宗教さえ解体・転倒させてしまえば、国家体制は自ずから変わらざるを得なくなるわけです。いくら国家体制の下で法律や制度を変えたとしても、それを構成している人々の考え方や感じ方受け止め方が変わらなければ、「真の革命」は達成できない—と「文化マルキスト」(ブキャナン『病むアメリカ 滅びゆく西洋』成甲書房)らは喝破していたのです。
この「文化マルキスト」についてその特徴を、八木秀次氏(麗澤大学教授)は、『世界思想』2003年9月号インタビューで「(「文化マルキスト」が)今日本にはびこっている。シロアリのように、2000年以上の年輪を持つ日本という大木を、中から食い荒らす。彼らはもう体制派で、審議会を使って次々に政府や自治体の見解を出している」と述べています。
社会を誤らせてきた三つの思想
ところで、このような「新しい共産主義のカタチ」というものは、全体の思想的流れからすると、どのように位置づけられるのでしょうか。この点について今回は概観してみましょう。
李相軒(イ・サンホン)著『頭翼思想時代の到来』によれば、現代社会を蝕む「戦犯」として三つの思想を挙げています。それは、マルクス主義・ダーウィニズム・フロイト主義の三潮流で、渡辺久義・京大名誉教授も『意識の再編』(勁草書房)でまったく同じ指摘をしています(図Ⅱ参照)。
そしてさらに、この三つの流れというものが、現代思想においてどれほど大きな影響力を持っているか、図Iから一目にして瞭然でしょう。図Iの元になっているのは、講談社『現代思想の冒険者たち』シリーズ添付の図です。
このうち、ダーウィニズムなどの「科学理論」については、同シリーズは触れていませんが、あえて図Iとの関連で言いますと、ダーウィニズムを哲学・思想的に補強したものは、ニーチェの思想と言うことができます。ニーチェはショーペンハウアーのペシミスティック(悲観主義)な意志の哲学を継承して「神の死」を宣告し、弱者がすがる奴隷然としたキリスト教的価値観を棄てて超人を目指し強く生きよ、とニヒリズム説きました。そしてそれを弱肉強食の論理で人種差別を国策としたのがほかならぬナチス・ドイツでした。
確かに、思想的影響というものは、マルクスと結びついたダーウィン進化論、マルクス主義とフロイト思想の融合というように単純なものとは言えないでしょう。そこにはヘーゲル弁証法の再解釈があったり、ニーチェのニヒリズム思想、そして実存主義の「企投」(アンガージュマン)思想が加わったりして、複雑な様相を呈しています。
もちろん、一部に「何でも『共産主義』にしてしまっていいのか。レッテル貼りではないのか」といぶかる向きもあるかもしれません。しかし、私たちにはことの本質を見極める必要があるのです。ですから、これまで機関紙で展開した勝共思想講座でもマルクスの弁証法的唯物論の成立する契機、すなわち「動機と経路」を克明に分析した「疎外論」で子細に論じてきました。
古来、「思想」と呼ばれるものはおよそ、人間が生み出す以上、多かれ少なかれその人間の人生が投影されてきました。にもかかわらず、思想家というものは一様に、自らの思想・哲学の独自性・斬新さ・ラディカルさというものを喧伝しがちです。
もちろん、「真理」というものは、新奇さやラディカルさにあるはずだ、とは到底言えるものではありません。それはいわば単なる一つの「蓋然(がいぜん)性」に過ぎないのであって、むしろそれと同様に、古さや伝統的な価値観の中にこそ真理は存在する、という可能性は否定できないのではないでしょうか。
かえって、歴史的に永らえてきたものにこそ、「真理」の片鱗が顕現しているとは言えないでしょうか。具体的に言えば、それは「伝統や文化」に現れていると見なされます。そして、ものごとの考え方や世界観・自然観もその一つと言えるかもしれません。
実際に、マルクスがシナリオを書き、レーニンが演出した「正統マルクス主義」というタイトルの共産主義の「舞台」は、「上演」から70年にして、突如として「打ち切り」となりメジャーの舞台から姿を消しました。現在は閑古鳥の鳴く状況ながら細々と延命は続いていますが…。このように、「歴史の審判」というのは残酷と言えます。(続く)
★「思想新聞」2024年2月1日号より★
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