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スマホで立ち読み Vol.31
『文鮮明先生の日本語による御言集 1』9

日本歴史編纂委員会/編

(光言社・刊『文鮮明先生の日本語による 御言集 1』〈2015年2月12日第2版発行〉より)

 スマホで立ち読み第31弾、『文鮮明先生の日本語による御言集 1』を毎週水曜日(予定)にお届けします。
 真のお父様が語られた日本語がそのまま残されていて、当時の雰囲気を味わうことができます。日本に対する真の父母様の深い愛を感じる一冊です。

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一、「神の目的と我々の目的」

1965128
本部教会(東京都渋谷区南平台)

今日までの神の摂理と人類の対応

 それで、現世におけるそういう現状に立っているその愛する子女たちを保護するために、神は天から地上に向かって人間が闘い得るすべての条件を責任持って、我々に対しましては、95パーセントの責任をもって、地上に対してきた。そういう歴史を今までズーッとたどってきた。

 そうしてある環境を造って、神を信じ得るその数をふやして、そこに立って神が成されば、それに服従する群れの数を造って行く。それを中心の心情の部分からではなく、外的部分から始めた。

 だから我々の復帰路程を考えれば、旧約時代におきましては、祭物、供え物を捧げてそうして、外的条件を神の前に立たせて、我々がそこに接するという約束の条件を基(もとい)として、長き4千年の歴史を過ごした。

 イエス様が来られては、この外的条件を後にして、内的条件を立たせて、神に捧げようとしたのがイエス様の願いでありますけれども、イエス様の内的あるいは外的な捧げなければならない重大な条件を神に捧げることができるように、その時代の第一イスラエル民族、あるいはユダヤ教が服従しなかったために、つらい十字架上で血を流したということを我々は知っております。

 外的条件を神は開拓しながら、今まで闘って来た。だからこの今の世界におきましては、二大陣営におきまして、二つの主義を中心として、一つの目的の世界に今超えんとするその関門に立っておるというのは、遠からずその目的の世界が、我々の地上にたどって来るというのを暗示するのであります。

 そういう関係が世界的に造られて、その目的の世界に遠からずして超えて行くというこの現世を考えてみるときに、我知らず、神はこういう世界的な環境を造らんがために、今まで遠いつらい茨(いばら)の道をたどって来たということは、我々は原理を通してよくわかるのであります。

 本当は、これは2千年前にイエス様を通してその時代におきまして、ユダヤ教の信者とイスラエル民族が合体(がったい)して一致して、イエス様と内外共に、神に捧げ得る立場に立って、そうして外的サタンの世界に対していかなる苦痛があっても、いかなる悲惨なる立場に立っても、それを乗り越え、神の本来の因縁と関係と願いを通した立場にイエス様を中心として立ったならば、その時代からそのままイエスの理想の圏内に入ることができた。

 しかしその内的環境を守ってくれる真なる一人が、真なる一つの家庭が、一つの民族が、一つの部族が、一つの国民がなかったために、イエス様は内的問題を収拾するその責任を果たすべきでありましたけれども、外的責任を、第二の責任をまず果たすために闘って、そして勝利の基点を立てたのが、霊的救いであります。

 しかし、今まで第二イスラエル民族を中心としたキリスト教が、個人におきましても、あるいは家庭におきまして、あるいは民族におきまして、あるいは一つの国において、内的外的環境を造った基盤をもって、約束した再臨の主を迎えようとする内的基盤があれば、神はその一事を中心として、世界的な勝利の天国、あるいは勝利の目的の世界をそこから始めようとしたのが、今まで霊的摂理を通してきた目的なのであります。

 しかし現世におきまして、数多くのクリスチャンがいる。

 その10億近いクリスチャンにおきまして、真なる内外共の勝利の基盤を造って、神の絶対なる目的に向かうその願いを、その関係、その因縁をもって、本当に神の願いに立って、そして神の事情と心情とにかなうそういう生活をしている真のクリスチャンがいるかというと、いない。

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 次回は、「統一教会の立場」をお届けします。



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