2024.03.13 17:00
スマホで立ち読み Vol.31
『文鮮明先生の日本語による御言集 1』8
日本歴史編纂委員会/編
スマホで立ち読み第31弾、『文鮮明先生の日本語による御言集 1』を毎週水曜日(予定)にお届けします。
真のお父様が語られた日本語がそのまま残されていて、当時の雰囲気を味わうことができます。日本に対する真の父母様の深い愛を感じる一冊です。
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一、「神の目的と我々の目的」
1965年1月28日
本部教会(東京都渋谷区南平台)
信仰者の苦難の道
そういうふうに考えれば、今現世の周囲を見れば、その周囲は神が楽しむ周囲ではない。その世界は神が願っている世界ではない。いずれ歴史は過ぎて行かなければならない。
真の願いに反発する、正面的に衝突し得るこの世界である。この世界に神を招き得る生活の舞台を造ろうとすれば、外的におきましては、善なる天の力による勇気を持って、善を保護するがために闘わなければならない。いわゆる天に対しての勇士とならなければならない。そういう生活をしなければならないということになるのであります。
ここにおきまして、その反応が少なければ少ないほど、外的苦痛とか、外的反発力は反比例するのであります。
それがためにその中にあって生活する真の神を愛する人がいれば、その人がその生活を維持して行くには、その外的な各条件を活力にして、そして生活の内におきまして、神を招き得る立場に立つということはなかなか難しいことである。
一層神を招き得る、その神に対しては永遠に侍(はべ)ることができるというその立場を保つというのは、それは不可能に近い。
外的悪条件に対抗して闘っておる善なる人がおれば、その生活圏内には、一時、神自身におきまして接することができるけれども、生涯圏内には立ち入ることはできない。
一日の生活圏内には神が接することができるけれども、何十年の生涯圏内には接することができない。これが神の悩みであり、我々の信仰生活をしている人々の悩みである。そういう環境を避けることができない。
だから未だ悪の現状に現世に住んでいる我々統一教会にとりましても、こういう関係を超越して、これからまた逃げ去って行ってはいけない。我々の力を合わせて、この関係を、この版図を広げなくてはならない。我々の担(にな)う当面の責任である。
その立場におきまして、一人として神を招き得る自由なる環境を持たないそれ自身におきまして、家庭をそういうふうに造っていない立場にあって、あるいは自分の同族、あるいは氏族、部族、あるいは国民に対してそういう環境を造っていない真っ只中において、少ないその版図に立っておる信者におきましては、願う希望が大きければ大きいほど、そこには二重三重の苦痛を体験する。
だから真に神に対して忠孝の道を正して、我々の後孫にそれを遺言(ゆいごん)として授けるには、まだまだそういうつらい戦いを経るという、残しているという立場で、あるいは意見するやら、あるいは子供を泣かして行かなければならない、そういう歴史を今まで反復してきた。
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次回は、「今日までの神の摂理と人類の対応」をお届けします。