2024.03.06 17:00
スマホで立ち読み Vol.31
『文鮮明先生の日本語による御言集 1』7
日本歴史編纂委員会/編
スマホで立ち読み第31弾、『文鮮明先生の日本語による御言集 1』を毎週水曜日(予定)にお届けします。
真のお父様が語られた日本語がそのまま残されていて、当時の雰囲気を味わうことができます。日本に対する真の父母様の深い愛を感じる一冊です。
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一、「神の目的と我々の目的」
1965年1月28日
本部教会(東京都渋谷区南平台)
神が求めた人間
だから、今こういう世界の終末の先端に立って、罪悪の洪水に囲まれて流れておる世界の運勢を、自分一個人が立ち塞(ふさ)いで、神が聖なる人間を中心として造った因縁を中心として、善なる関係を持って、いかなる悪がそれを打ちあっても破り得ないその願いと目的を、この生活圏内に引き込むことができるようなそういう人を、今まで神は歴史を通して探し求めて来たということを、皆は考えなければなりません。
ここにおいて訴える先生におきましても、現世におきまして勝利者となる宗教家、堕落生活に対して闘って勝利を得ると共に、その願いの観念を、最高の目的をこの生活舞台に引き入れて、そこにおいて自分の独立性と融合性と統一性を神の身代わりの相対として立たし得るその一個人というものを、未だに求めているということは言うまでもありません。
だから我々は、この現世は一旦本当の因縁と本当の関係と本当の願う所に立っておらないということをはっきり心の中に分別して、神を中心とした真なる関係を自分を中心として結ばなければならない。真なる願いを、我によって目的の方向を決めなければならない。こういう人間が神は必要なのであります。
その立場に立って、こういう不変なる立場に立てば、自然と体験し得るのは、神の願いは何であるか。神の中には願いがあるということを思えば、願いの中には神の最高の目的がいつも中心の力として我を刺激するということを体験し得る。
そういう体験をする生活舞台に立って横的関係を結ぼうとすれば、そこにおいて真なる神の事情が何であるかということを体験する。それを体験してみれば、そこにおいて露知らず、深い神の心情の因縁をたどる。
今までのキリスト教におきましては茫然(ぼうぜん)たる地上天国、茫然たる霊的天国を教えてきましたけれど、神が今までの教えを通して願うところが、霊的天国ではない。我々生活中の天国である。
その天国の中におきましても、神の願いをかなえた立場に立って、自分の価値が神の相対の価値となると共に、神の願いにかなった自分自体となることはもちろん、神の事情と心情を自分自身におきまして体験し得るそういう人、これが6千年長い歴史を通して神が今まで求めて来た本当の子女なのであります。
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次回は、「信仰者の苦難の道」をお届けします。