2024.03.08 12:00
孝情を育む 13
『ムーンワールド』で連載された、蝶野知徳・家庭教育部長による子育てに関するエッセーを毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
孝情を育む子女教育について、どんな姿勢で向き合えばいいのかを分かりやすく解説しています。
家庭教育部長 蝶野知徳
言葉は愛のためにある
愛を伝えるためにあるもの
夫が妻に、妻が夫に語りかける言葉を子女は聞いており、語る人の気持ちを感じ取っています。何を話しているかという言葉の内容の前に、言葉を発しているその人の気持ちが先に伝わっています。
神様は言葉というものを何のために考えられたかといえば、“愛のため”に考えられました。愛するためにあるのであり、愛を伝えるためにあるものなのです。
ふだん使っている家族への言葉が、ただ物事を伝えるだけの言葉になっていないかを確認することが大切です。
家族に、夕飯ができたので「ご飯できたよ」と伝えるとします。この時に、“ご飯ができたという事実”だけを伝えるのではないということです。そう伝えながらも、本当は食べる人を「愛したくて」という思いを伝えなければならないのです。「あなたの健康と喜びを思って(少ない予算の中で申し訳ないけれど)心を込めて作りました」と。配偶者や子女を、食事をもって“愛したい心”で、「ご飯できたよ」というのです。
このように一つ一つの言葉に愛を込めて発していくならば、聞く側の心も、その愛を敏感に感じるようになります。ただ生活のための情報を伝えるだけではないのです。
家庭の雰囲気に影響する言葉の使い方
全ての言葉に愛を込めるならば、積み重ねられた言葉は、受ける側にとって大きな力となり、愛になるのです。語りかける側が、愛したくて言葉を発しているのであれば、すでに語っている私自身の心がうれしくなっているということです。語る側も、受ける側も、愛のために心が開くようになっています。
家族であれば、足音を聞いただけで、その人の心や、機嫌が分かるという話があるように、人間は常に外的なものから内的なものを、自然に感じ取ってしまっているのです。家族という関係性を考えるとき、生活の中でのふだんの言葉の使い方が大きい影響力を持ちます。交わされる言葉によって、家庭の雰囲気は、変わってしまいます。言葉の内容や外的な手段だけでは限界があった、人間関係の根底の部分に影響を与える要素となるのです。
言葉自体を、そもそも神様が何のためにつくられたのかというところまで遡(さかのぼ)って考え、ふだんの言葉の扱いを大切にしていくべきです。そうすることで、例えば「愛している」という言葉でさえも、その言葉だけに依存せず、本当に愛しているという心が自然に伝わるような関係をつくりあげていきたいと思うのです。
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次回は、「喜びの共感と情緒の形成」をお届けします。