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最澄・空海

(光言社『中和新聞』vol.499[1998年11月1日号]「日本17宗教人の横顔」より)

 『中和新聞』で連載した「日本17宗教人の横顔」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
 日本の代表的な宗教指導者たちのプロフィル、教義の内容、現代に及ぼす影響などについて分かりやすく解説します。

俗化した仏教の改革行う
全国で活発に布教、民衆教育にも尽力

 平安時代初期、仏教は南都六宗と呼ばれ、学説の対立から派閥争いをしたり、政治に口をはさむようになっていた。最澄と空海は、都の中で俗化した仏教を憂い、山奥で修行をして仏教の改革に努力した。

 最澄は767年、近江(滋賀県)に生まれた。父母は渡来人の子孫で、三津氏という姓をもち、裕福で仏教についても理解があった。12歳で出家、17歳の時、奈良・東大寺で戒律を受け、一人前の僧となった。

▲最澄像(ウィキペディアより)

 しかし最澄は都の寺にいることを好まず、近江と山城(京都府)の境にそびえる比叡山に入り10年以上修行した。先に鑑真和上(がんじんわじょう)が日本へ持って来た数々の経典の中に天台宗に関するものがあったが、最澄はこれに強く心を引かれ、鑑真の弟子たちから、比叡山で天台宗の教えを受けていた。

 797年に朝廷に仕える身となり、801年、南都六宗の高僧を比叡山寺に招いて、天台宗の根本経典である法華経を講義した。そして、日本における天台宗をさらに確立するため、唐へ渡って勉強したい旨を朝廷に願い出た。

 一方、空海は、最澄より7歳年下で、774年、讃岐(香川県)に生まれた。生家は裕福で、幼名は真魚(まお)といった。15歳の時、長岡京に上り役人になるための勉学を始めた。18歳で大学(中央の役人を養成する施設)に入るが、仏道を志して退学、阿波や土佐の国の難所で苦行を重ねた。

▲空海の肖像(ウィキペディアより)

 やがて798年、都で戒律を受け一人前の僧となった。彼は、大日経(だいにちきょう=密教の教えや悟りを開くための方法が説かれているお経)を学んで密教(真言宗)を起こそうとし、この大日経を系統的に学ぶために唐へ渡って勉強しようと決心した。

 こうして、最澄と空海は桓武天皇の計らいで804年、遣唐使の一行に加えられた。唐へ渡った最澄は、まず天台宗の中心となっている天台山へ行った。最澄は唐に8か月しか滞在しなかったが、天台宗の正統な教えを習得し、密教や禅も学んで翌年8月、平安京に戻った。

 一方、空海は長安の都へ赴き、西明寺にとどまった。熱心に各地の寺を回って知識を深め、青竜寺では密教界の第一人者、恵果和尚と出会った。恵果は、空海が優れた人物であることを喜び、奥深い真言秘密の法を授け、跡を継ぐ弟子であることを認めた。また空海は、サンスクリット語や漢詩を学び、806年、日本へ帰ってきた。

 最澄は、唐から帰って間もなく桓武天皇の許しを得て、比叡山で天台宗を開いた。北九州をはじめ、関東・東北各地でも布教活動を活発に行い、同時に、南都六宗に対する激しい論戦を展開した。

 806年に帰国した空海は、一時九州にとどまっていたが、やがて都へ上り、809年に嵯峨天皇が即位すると、宮中や貴族との交遊を深めていった。高雄山寺で国家鎮護のためのお祈りをしたことにより、真言宗を開くことになった。このあと空海は高雄山寺で真言宗の戒を授ける灌頂(かんじょう=香水を頭に注ぐ儀式で、ある一定の仏の地位になったことを示す)の壇を作り、先輩に当たる最澄にも灌頂を授けた。

 このころ最澄と空海は親密に交流、最澄は弟子とともに、年下の空海から教えを受け、中国から持ち帰った経典もしばしば借りている。しかし、空海がやがてこれを拒むようになると亀裂が生じ、7年ほどしてついに訣別してしまった。

 最澄は晩年、大乗戒壇(法華経の教えに基づく戒を授ける場所)を比叡山寺に開くために奔走したが、822年、56歳でこの世を去った。死後7日目に念願の大乗戒壇の許しが下り、翌年、比叡山寺が延暦寺と改められた。

 空海は高野山に金剛峯寺(こんごうぶじ)を開き、京都の東寺(教王護国寺)を与えられて加持祈祷を行った。また、故郷の讃岐に、農業用に水を貯めておく満農池などを造って農業開発に努めた。さらには民衆教育のための学校、綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を創立するなど、仏教界ばかりでなく、あらゆる分野で活躍した。そして、最澄の死後13年たった835年、高野山で死去した。

 最澄の天台宗、空海の真言宗によって、仏教は国を守るとともに、一人一人を救うものという性格を強めていった。死後、朝廷は二人の功績をたたえ、最澄に伝教大師、空海に弘法大師というおくり名を与えた。

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 次回は、「法然・親鸞・栄西・道元」をお届けします。