2024.02.26 22:00
facts_3分で社会を読み解く 4
「ナラティブ」について考える
ナビゲーター:魚谷 俊輔
安倍晋三元首相の銃撃事件以来続いてきたメディアの偏向報道について考えるためのキーワードに「ナラティブ」がある。
これは今、はやりの言葉の一つだ。
日本語に訳せば「物語」という意味だが、その中でも第一人称で語る、「私の体験はこうだ」「私はこう思う」というようなストーリーのことを「ナラティブ」というらしい。それ故に当事者性が強く、主観的な語りということになる。
事件以来、家庭連合について語られてきたことの本質は、ファクト(事実)でもなく、エビデンス(証拠)でもなく、ナラティブ(物語)であったと分析することができる。
多くは感情を揺さぶるものであり、それに大衆が共鳴した。その巨大な負のナラティブが政治まで動かしてしまったのである。
ナラティブについて調べていく中で、ネット上で見つけた印象的な言葉を三つほど紹介したい。
「『現実は社会的に構成され、語ることで世界がつくられる』という考えからナラティブは生まれている」
「社会は『物語』で動いている」
「ナラティブと呼ばれる物語が、まるでウイルスのように人々の間で感染して広がっていき、社会を動かしている」
こうしたことが、家庭連合を巡って起こってきたのではないか。
昨年富山でシンポジウムを行った時に、パネリストとして話してくれた仲正昌樹・金沢大学教授が著書『宗教を哲学する』(明月堂書店)の中で同じようなことを言っている。
「安倍政治の負の要素が、すべて統一教会との関係から生まれてきた、『統一教会問題』こそが、日本を長年にわたって苦しめてきた元凶ではないか、という、負の大きな物語が発生したのではないか。
旧統一教会にそんな力があるなんて、妄想もいいところですが、多くの人たちにとっては、統一教会の実力よりも、日本の不幸を生み出した悪の根源をめぐる、一貫性のあるように見える『物語』の存在が重要なのでしょう」(『宗教を哲学する』、9ページ)
家庭連合を巡る報道が暴走したのも、事実や証拠に基づかない、巨大な負のナラティブが生み出されたためであり、それが政治を動かして、解散命令請求まで引き起こしてしまった。
これは大きな問題である。
今後はもう少し冷静になって、果たして事実なのか、証拠はあるのか、ということが問われなければならない。
一方の当事者のナラティブにだけ耳を傾けるのではなく、もう一方の当事者のナラティブもちゃんと聞かないといけないのではないか、ということにそろそろメディアのかたがたは気付いてほしい。
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UPF JAPAN公式note
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