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小説・お父さんのまなざし

徳永 誠

 父と娘の愛と成長の物語。
 誰もが幸せに生きていきたい…。だから人は誰かのために生きようとします。

12話「愛がなければ、無に等しい」

 娘のナオミが夏休みを大分で過ごすようになって2週間が過ぎた頃、義母のシホから連絡があった。
 「タカシさんとナオミちゃんで由布岳に登ったらどうかしら」という提案だった。

 由布岳登山…。
 私の大分行きの意味が、にわかに明るみを増したような気がした。

 当初は、今回の大分訪問が義母の慰労になればという動機が強かったが、この夏のカオリの実家への訪問は、やはり巡礼の旅なのだ。

 山に登る。
 何度かの登山体験を通して、私にとって山に登ることはあの世とこの世の境に立つことを意味するものとなっていた。

 どんな山であれ、山を歩くことは身体的にも精神的にも簡単なものではない。油断は禁物である。まして「巡礼の旅」と位置付けた時から、この旅路はカオリと、そして義父シュウサクと向き合うことになるのだ。

 この年の夏も、日本はいつから亜熱帯になったのかと思わせるような猛暑が続いていた。
 夏期休暇の全てを使って、私は大分への道程に就いた。
 大分空港からは、ナオミとシホが一緒に乗ったのと同じ高速バスで由布駅に向かった。車窓から見える風景にナオミはどんな思いを重ねたのだろう。バスのエンジン音の響きと振動は、巡礼の旅のモードへと私を加速させた。

 湯布院が近づくにつれて、カオリの両親の顔が脳裏に浮かび始めた。二人に対してできなかったことばかりが思い起こされて仕方がなかった。今さらながら心が疼(うず)いた。
 カオリもまた親への愛に悔いを残して逝ったのではないか。そんな思いが湧いてくる。
 車窓に近づく豊後(ぶんご)富士の山容が胸に迫る。由布岳は以前にも増して存在感を放っていた。

 高速バスの停留所にナオミの姿を見つけた。義母も一緒だ。

 今すぐにでも登山ができそうないでたちでバスを降りた私は、駆け寄るナオミの肩を抱きながら、義母の前にこうべを垂れた。

 「お義母さん、本当にすみませんでした。カオリさんが亡くなった後、自分たちのことばかりで、お義母さんのために何もしてあげられず申し訳ありません。お義父さんにも…本当に…」

 後は言葉にならなかった。
 自分でも意外だったが、由布岳を眼前にした時から、カオリの両親に謝りたい気持ちで私の心はいっぱいになっていた。

 「あらまあ、タカシさん、何かと思えば、そんなことを。あなたこそ、大変だったでしょう? ナオミちゃんをこんなにいい子に育ててくれて、本当にありがとう。ナオミちゃんとしばらく一緒に過ごす中で、私の心は随分変わったのよ。ナオミちゃんがカオリのことをたくさん聞いてくれたの。私もおかげさまで心に閉じ込めていたカオリへの思いを全部手放すことができたわ。ナオミちゃんが私の心を解放してくれたのよ」

 信念や信仰心は素晴らしいものだが、時に人をかたくなにしてしまうことがある。シュウサクもシホもカオリを心から愛していた。しかしその愛情を分かち合うことなく、一人娘との別れの時を迎えなければならなかった。喪失感が心の門を固く閉ざしてしまったのだ。その無念の思いはいかばかりであっただろうか。

 「正直に言えば、カオリのことを恨んでしまっていたのよ。カオリとの間に心の壁をつくっていたのは私の方だったの。夫は娘の信仰を認めていたわ。でも私はそれができずにいたの、今の今まで。でもナオミちゃんが私に母娘(おやこ)の和解の時間をくれたのよ」

 ナオミは母を求め、シホは娘を求めた。互いに愛したい者を愛せずにいた時間を取り戻す出会いとなったのだ。

 「タカシさん、私、分かったことがあるのよ。それは夫がどれほどカオリのことを愛していたかということ…。もちろん、今までも分かっていたつもりだったわ。でも信仰の違いを認めたくなかった私の心が、カオリという存在を無意識のうちに遠ざけてしまっていたの。でもナオミちゃんと一緒に過ごしながら、カオリのことを見守ってきた夫の父としての強い愛情が、私を通してナオミちゃんに注がれるのを感じたの」

 義母は「ナオミちゃんを通して救われた」とも語った。

 私はふと聖書の言葉を思い出した。

 「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」

 タクシーでカオリの実家に向かう道すがら、由布岳は夏のわた雲と共に私たち3人を静かに見守っていた。

 「パパ、私の登山靴持ってきてくれた? おばあちゃんに聞いてるでしょう? パパと私であの由布岳に登るのよ」

 「もちろん。ナオミの登山靴も持ってきたさ。由布岳のことも調べてみたけど、鎖場もあるようだし、ちょっと難易度が高いね。高尾山や三頭山(みとうさん)みたいにはいかないかも」

 シホは私とナオミのやりとりをずっと笑顔で見守っている。

 「お義母さん、カオリさんはお義父さんと何度も由布岳には登っているんですよね?」

 「そうよ。年に一度は登っていたわよ。カオリと一緒に山を歩くのが夫の一番の楽しみだったわ」

 夕食を終えた後は、ナオミが湯布院でどんな夏休みを過ごし、何を感じてきたかを聞く時間となった。

 まずナオミが話し、シホが相づちを打つ。あうんの呼吸で掛け合いの報告会は続く。二人の間に築かれた信頼の絆は「ナオミに救われた」というシホの言葉を証しするものだった。ナオミの成長した姿がまぶしかった。

 ナオミはシホと一緒の部屋で休み、私はカオリの部屋で寝ることになった。

 「タカシさん、遠慮は要らないわよ。お部屋の中に残されたカオリが生きた証しを、何でもご覧になってね。きっと新しい発見があるはずよ」

 改めてカオリと出会い、カオリを誕生させてくれた宮田家について知ることが湯布院訪問の意味でもあった。
 ナオミの成長した姿に導かれながら、私の巡礼の旅の一日目は終わった。

 翌日、私たちはシュウサクの墓を訪ねた。教会にも立ち寄り、祈りをささげた。シュウサクが亡くなってから1カ月余りが過ぎたばかりだった。

 30日目の追悼ミサに参加すべきだったと私は悔いたが、ナオミが義母と一緒にその日を迎えて追悼の祈りをささげてくれたことを私は心から喜んだ。
 私は義父への思いを胸に、聖堂でしばし祈りの時間を持った。

 私が湯布院で過ごせる時間は限られていた。天気予報を確認し、義母と相談しながら由布岳への登山の日を2日後と決めた。

 「パパ、由布岳にはおじいちゃんとママの代わりに登るんだよね。あのね、パパが来る前に夢を見たの。おじいちゃんとママが一緒に由布岳を歩いている夢」

 「そうなんだね。おじいちゃんは娘と一緒に由布岳を歩きたかっただろうし、ママもおじいちゃんと一緒に山を歩きたかったんだと思うよ」

 夢の中でカオリは「あなたも自分の足でしっかり歩んでいくのよ」とナオミに声をかけたという。

 誰もが父や母から自立する時がやって来る。子は親から自立しなければならず、親もまた、子から自立しなければならないのだ。そして人は配偶者と出会い、子の親となっていく。

 この自立の連鎖、そして自立した者同士が確かに支え合うことのできる共立の道を行くことが、人生の務めなのかもしれない。

 巡礼登山は、家族の絆を再生させるための神の摂理ではないか。

 カオリに注がれる義父のまなざしも、ナオミに向けられる私のまなざしも、親なる神が長い歴史を通じて子たる人類を見つめてこられたまなざしと同じものなのだ。

 由布岳登山の朝、私はナオミが見た夢と同じ夢を見ながら目覚めた。

 夢の中で私に語りかけたのは義父だった。

 「天国への手続きは、地上でなされなければならないよ」と…。

 私は再び聖書の言葉を思い出し、「愛がなければ、無に等しい」という一節を夢の中でつぶやいていた。


登場人物

●柴野高志(タカシ):カオリの夫、ナオミの父
●柴野香里(カオリ):タカシの妻、ナオミの母、ナオミが6歳の時に病死
●柴野直実(ナオミ):タカシとカオリの一人娘
●柴野哲朗(テツオ):タカシの父、ナオミの祖父
●柴野辰子(タツコ):タカシの母、ナオミの祖母
●宮田周作(シュウサク):カオリの父、ナオミの祖父、ナオミが14歳の時に病死
●宮田志穂(シホ):カオリの母、ナオミの祖母

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 次回もお楽しみに!

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