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小説・お父さんのまなざし

徳永 誠

 父と娘の愛と成長の物語。
 誰もが幸せに生きていきたい…。だから人は誰かのために生きようとします。

11話「自分の足でしっかり歩んでいくのよ」

 義母シホは、夫の死を悲しんだが、打ちひしがれてはいなかった。死は人生の終わりではなく、新たな人生の始まりだと信じていたからである。

 「ナオミちゃん、おじいちゃんが突然倒れて驚いたと思うけど、おじいちゃんは天国への旅立ちの時を迎えたのよ」

 ナオミを湯布院に迎えた日、シホは夜の祈りの時間を終えると、夫の遺影を見つめながら自らに言い聞かせるように、そうつぶやいた。

 14歳のナオミは、父方の祖父母、母方の祖父母、そして自分の両親と、家族の信仰がそれぞれ違うのだということを分かっていた。

 「おばあちゃん、私もそう思うよ。おじいちゃんとママはきっと天国で再会しているよ。おばあちゃん、おじいちゃんやママのこと、たくさんお話ししてね。もちろん、おばあちゃんのことも」

 「ありがとう、ナオミちゃん。うれしいわ。ひと夏をナオミちゃんと一緒に過ごせるなんて夢みたいだわ」

 6歳で母親と死別し、14歳で祖父との突然の別れを経験したナオミ。人間にとって死は不可避のものではあるが、同時に人は死後生を信じて生きているのだと、ナオミなりに理解し受け止めていた。
 宗教の別はあっても信心を持つ家族の中で育ったことの影響は小さくなかったのだ。

 東京の大学に進学するようになるまで使っていたカオリの部屋はそのまま残っていた。その部屋には、幼少から高校生の頃までのカオリの日常生活の息遣いがいつでも再生できそうな空気が流れていた。
 そこにはカオリの成長の足跡と記録が親の愛情と共に大切に保存されていたのである。

 家族の思い出と共にシホは自慢の手料理を毎日孫娘に振る舞った。
 食事が終われば、何枚もの写真を見せながら宮田家の一人娘の成長の物語を語った。アルバムの中にはナオミが初めて出会う母カオリの姿があった。

 「おばあちゃん、ママは中学生の頃、どんな子だったの?」

 「そうねえ。人の心に敏感で、優しくて思いやりのある子だったわ。それに読書が好きな子だったわね。そうそう、読書感想文や絵画のコンクールでもよく入選してたのよ」

 「おばあちゃんは美術の先生だったんでしょう? ママにも教えてあげたの?」

 「カオリは何でも自分でやる子だったのよ。求められたら私が教えてあげることもあったけど、やるべきこと、自分がやりたいと思うことは何でも一人でやっていたわ。自主性があって責任感のある、独立心の強い子だったわねえ」

 だから宗教の選択もカオリは自らの判断に従った。大学時代に統一原理と出合い、統一教会に通うようになったカオリにシュウサクとシホは戸惑ったが、強く反対することはなかった。キリスト教会からは異端とされる統一教会に娘が熱心であったことは、カトリックの信仰を持つ者として穏やかな気持ちではいられなかったが、祈りと共に娘の意志を尊重しようと二人は努めた。

 二人もまた、信仰に対する激しい親族の反対の中で自らの信仰を貫いてきた経験があったからだ。親族との間に生じた心の傷はいまだ癒えてはいなかった。信仰の問題で親子の絆を失いたくはなかったのだ。

 かつて「豊後(ぶんご)の国」といわれた大分にキリスト教が伝わったのは、大友宗麟の招きによってフランシスコ・ザビエルが来訪した15519月のことであった。

 豊後の国のキリシタンの数は最盛期には3万人を超えたという。各地にキリシタンの共同体が形成されていったが、湯布院も例外ではなかった。

 1614年の徳川幕府による禁教令によってキリシタンへの迫害が始まる。湯布院では733人が転宗したという記録が残っている。幕府の苛烈な弾圧によって、大分の地においても多くのキリシタンが殉教の道をたどった。

 カトリックの信仰を持つシホの胸にもまた、日本のキリシタンの歴史が刻まれていた。そしてその記録の1ページには、夫シュウサクと娘のカオリと3人で教会に通った日々も記憶されていた。

 シホはナオミにふと尋ねた。

 「ナオミちゃんは、イエス様のこと知ってる?」

 「知ってるわ、おばあちゃん。救い主、キリスト、イエス様でしょ」

 幼少の頃のナオミにとって、夜寝る前にカオリが読んでくれる子供向け「聖書物語」は、毎日の楽しみの一つだった。
 ナオミにとって母の読み聞かせの時間は、数少ないカオリとの思い出として記憶された。ナオミにとっての母親のイメージは、常に聖書物語を読むカオリの声と共によみがえる。

 「ナオミちゃん、イエス様のこと知ってるのね。救い主、キリスト、イエス様…」

 シホはナオミが母との思い出と共にイエス・キリストの生涯を覚えてくれていることに驚きと興奮を覚えていた。シホの心のスクリーンには、高校生のカオリと中学生のナオミが久しぶりに再会した姉妹のように映し出されていた。

 シホはカオリに信仰を強要したことはなかったが、親子で同じ信仰を持ち、ミサの時間を共にすることはシホにとって至福を感じるひとときだった。シュウサクも同様であった。

 「ナオミちゃん、明日の日曜日はおばあちゃんと一緒に教会に行ってみない?」

 ナオミはシホを通してカオリのことを知りたいと思っていた。カオリが育った家庭の様子に触れてみたかったし、カオリの成長する姿を手本にしてみたいと望んだからだ。

 シホは孫娘と一緒にミサに参加している間中、胸がいっぱいだった。夫を亡くしたばかりの高齢の信徒の立場ではあったが、シホは誰よりも高らかに聖歌を賛美し、聖書拝読に集中した。祈りの時間はカオリの手を握り締めていた。

 シホは何者かに導かれるように、カオリとゆかりのある場所をナオミに案内した。
 カオリが通った幼稚園、学校、そしてカオリがよく遊んでいた公園も訪ねた。商店街では、カオリが初めてお使いに行った薬局にも立ち寄った。カオリがお気に入りだった本屋や文具店にも入ってみた。

 3週間ほどの巡礼の旅はあっという間に過ぎた。父シュウサクがカオリをどれほど愛していたかをシホは繰り返しナオミに話した。「おじいちゃんは一度もカオリのことを𠮟ったことがないのよ」とも言っていた。

 「ナオミちゃん、あなたがここに来てくれてから今日でちょうど3週間になるわ。明日からナオミちゃんのパパが湯布院に来てくれるのね。パパが来たらナオミちゃんにお願いしたいことがあるんだけど」

 「なあに? おばあちゃん」

 「一カ所だけ、まだナオミちゃんを案内していない場所があるの」

 「え? どこ?」

 「由布岳よ。カオリとおじいちゃんが時々登っていた山よ。家族3人で登ったこともあるわ。おじいちゃんとカオリは年に一度くらいは登っていたかしら。おじいちゃんが一人で登ることはなかったのよ。だからカオリが大学2年の時の登山がおじいちゃんにとって最後の由布岳登山になったの。おじいちゃんとカオリが二人で歩いた由布岳にナオミちゃんとパパの二人で登ってみてほしいの。どうかしら」

 「パパと二人で由布岳に…」

 「そうそう、父娘登山を楽しんだらどうかしら。おじいちゃんもママもきっと喜んでくれるわよ。…実はね、ナオミちゃんのパパにはもう伝えてあるのよ。登山ができる準備をしてきてねって。ナオミちゃんの登山靴も持ってきてくれるはず。おじいちゃんとカオリの登山靴もまだあるけど、もう古いわよね。登山には慣れた靴の方がいいし」

 ナオミが湯布院に来てから毎日眺めてきた由布岳。雲に隠れている日もあったが、21日間、由布岳は常にナオミを見守ってくれていた。ナオミは一人つぶやく。

 「ママも由布岳を毎日見ながら育ったんだよね? 由布岳はママの成長をずっと見守ってきてくれた山なんだよね?」

 ナオミは「最後の巡礼の場所はパパと一緒に行かなければ…」と心に決めた。

 その夜、ナオミは夢を見た。
 風になびく、鮮やかな緑の草原を行く父娘の後ろ姿だった。

 父親の少し後をついて行く少女が唐突に振り向いてナオミに呼びかけた。

 「ナオミ! あなたも自分の足でしっかり歩んでいくのよ」


登場人物

●柴野高志(タカシ):カオリの夫、ナオミの父
●柴野香里(カオリ):タカシの妻、ナオミの母、ナオミが6歳の時に病死
●柴野直実(ナオミ):タカシとカオリの一人娘
●柴野哲朗(テツオ):タカシの父、ナオミの祖父
●柴野辰子(タツコ):タカシの母、ナオミの祖母
●宮田周作(シュウサク):カオリの父、ナオミの祖父、ナオミが14歳の時に病死
●宮田志穂(シホ):カオリの母、ナオミの祖母

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 次回もお楽しみに!

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