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孝情を育む 9

 『ムーンワールド』で連載された、蝶野知徳・家庭教育部長による子育てに関するエッセーを毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 孝情を育む子女教育について、どんな姿勢で向き合えばいいのかを分かりやすく解説しています。

家庭教育部長 蝶野知徳

待っている子女

親の愛を通して確かめる
 自身の存在の根拠が愛であったという体験を通して、人は生きる力を得るようになっています。信仰の道においても、神様の愛を確認できた時、信仰の力がみなぎってくるのと同じように、子女も自分が愛によって生まれ、愛によって存在しているということを、親を通して確かめたいと願っています。

 親に捨てられ孤児院で育てられたという子でさえも、「親が自分を手放したのは、そうせざるをえなかった難しい理由があるに違いない」と、そして「時が来れば、両親が愛の涙で迎えにきてくれるかもしれない」と、親の愛を信じたい心を持っているといいます。

親を信じている子女の愛
 親の愛の基準がどのようなものであったとしても、子女はすでに親の愛を信じています。生まれながらに、親を信じるという愛を持って生まれているのです。信じている心が先にあるのです。これも神様が本来子女自身に与えてくださっている「子女の愛」なのです。

 しかし、親から愛の投入が途絶えていて、愛を確認できないと感じる時には、子女自身の内面にある「親を信じている心」を裏切ってしまうことになります。ですから、それが原因となって心を閉ざしてしまうことや、反発することもありますが、そのような子女の不安や痛みは、もともとは「親を信じていた子女の愛」からくるものなのです。

 親が子女を愛し、信じているのだという話はよく聞きますが、子女も親を信じているのです。それは神様がお創りになった子女の愛というものを信頼することでもあるのです。

 そうすれば、いかに難しく見えるときでも、子女に対し、どこまでも信じてあげながら、真実の心を変えないで対することができます。本性を信じてこそ、愛も復帰されます。

 子女は愛を確認できれば、同じ基準のものは二度と求めないようになっています。それは、子女自身も完成しなければならないという目的性の中で、段階的に成長を遂げるようになっているからです。

 本性の要求しているものと、自分自身が体験したことが合うと、納得して、自ら次の段階に進んで上がっていくようになっているので、親である私たちは、「子女の愛」を信じ、今見えるものの中から、子女の本性が求めているものに関心を持って、それと関係を結ぼうとすることが大切です。

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 次回は、「人と比較するということ」をお届けします。