2024.02.02 12:00
孝情を育む 8
『ムーンワールド』で連載された、蝶野知徳・家庭教育部長による子育てに関するエッセーを毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
孝情を育む子女教育について、どんな姿勢で向き合えばいいのかを分かりやすく解説しています。
家庭教育部長 蝶野知徳
子女が愛を持ってくる
子女を授かることの意味は、愛のためです。愛するために授かったのであり、愛を体験するために与えられました。つまり、子女は父母に愛を持ってきてくれた存在なのです。
子女の行動や性質に焦点を合わせ、一喜一憂する前に、神様が与えてくださった子女の存在そのものの価値に対する感謝の心が必要です。その心を神様に捧げながら子女を見なければなりません。それがいかなるときも、父母の愛を支えてくれるものとなるからです。
愛の本質
子女は、愛という価値を通して見たときに、その存在の貴さを発見できるようになっています。「相手の性質に左右されない」という心情が、愛の本質です。具体的には、欠点のように見えることや、抱えている問題も全て超えて、その人を「愛おしい」と感じられる心が与えられたとすれば、それは愛の本質に触れていることになります。
障がいを持つ子女
ある父母は、生まれた子女がダウン症であることを伝えられた時、絶望と悲しみの中で苦しみました。しかし自分たち父母が愛の責任を持って育てる以外に道がないことを受け入れました。その子の未来が見えないと感じる中でも、一つ一つ希望や願いを持って接し、それを積み重ねていくうちに、純粋な笑顔を無償で振りまくわが子に、表現できない愛おしさが湧いてきたといいます。
障がいを持って生まれた子女を授かったとしても、それは愛し難いものを愛するということが父母のテーマとして願われているのではありません。「“その子女の存在、丸ごとを愛する喜び”を体験してしまうこと」にあるのです。
「愛の体験」をしたということは、それが「喜び」になっているということです。つまり、この一見、不自由な状態にある子女から「喜びが与えられている」ということを発見したのです。
愛によってこそ貴い存在に
これらの高度な愛の喜びの基準は、この親から生まれたものではありません。明らかに子女が持ってきてくれたものなのです。この愛の立場に至れば、子女に感謝が尽きないのです。
この愛の喜びを体験した父母も貴くなります。そして、この子女をこの親に担当させながら、それを抱えておられた神様も貴くなるのです。
私たちは、全てを貴い存在として輝かせるために、愛するのです。愛によってしか、全ての存在は貴くならないからです。
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次回は、「待っている子女」をお届けします。