2024.02.07 17:00
スマホで立ち読み Vol.31
『文鮮明先生の日本語による御言集 1』3
日本歴史編纂委員会/編
スマホで立ち読み第31弾、『文鮮明先生の日本語による御言集 1』を毎週水曜日(予定)にお届けします。
真のお父様が語られた日本語がそのまま残されていて、当時の雰囲気を味わうことができます。日本に対する真の父母様の深い愛を感じる一冊です。
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一、「神の目的と我々の目的」
1965年1月28日
本部教会(東京都渋谷区南平台)
神の目的と我々の目的
話の題目というと、こういう題目に対してちょっと話しましょう。
「神の目的と我々の目的」、こういう題目になると思いますが。
我々が、この地上に生まれるその日から自分自身は知らないけれども、一つの目的を持って生まれて来たということは否定することはできません。
我々自己自身がその目的があると同じように、あるいは民族なら民族、あるいは人類なら人類、すべてのものが目的を持って動くということは、これもまた否定することはできません。
そういうふうに考えれば神御自身におきましても、すべての万物を創造する時に、その創造した物がそういう目的を持っておるならば、創造主たる天の父におきましても、その目的があったということは、当然なのであります。
そういう目的ということは、それは創造理想の目的であり、万物の最高の願いの目的であり、あるいは人間にとりましてはなくてはならない最上の目的に違いないということは申すまでもありません。
だから個人にとりましては、個人を中心とした目的、家庭においては家庭を中心としたる目的、民族、国家あるいは世界、全体の目的があるに違いないということは、我々ははっきりわかりました。
そうするというと、何かしら我々の心の深い所には願いをかなえた全体の目的を、今まで個人においても、あるいは歴史の聖人、あるいは賢者、預言者、すべての人がその心情の、心の深く願ったその目的を探って来ましたけれども、今までその目的がかなったということは、この歴史上ではありません。
それがために、人間の世界には願いの環境には包まれておるけれども、目的の世界に立って生活をしておるという人は、一人もいないわけであります。
そういうふうに言うと、神御自身におきましても、人間がそういう立場に立っておるから、人間を中心として摂理しておる神御自身におきましても、その目的の地、あるいは世界を成して、生活を、あるいは栄光の宝座におるということができない。
だから神は人間に対して一つの目的を催促する。
あるいは人間、善なる人間におきましても、自分の子女に向かっても、あるいはその時代に向かってもその善なる目的を探さなければならないという立場で教えて来たということは当然なのでありますが、神が願い、人間自身が、賢者たちが願ったその目的はかなっていないため、神もまた願いの目的を持たなければならない。
人間自身におきましても願いの目的を持たなければならない。そういう立場に立っておる。
だから願いのかなったその目的の個人と、目的の家庭と、あるいは氏族、あるいは民族、国家、世界を、神は未だに待って、蕩減原理を通して復帰という悲惨なる歴史の路程を進ませて来ておるということを、我々は切々に考えなければなりません。
そうするというと、いかにしてもこの目的を達成しなければならない。いかなる犠牲を払ってもこの目的を成就しなければならない。
その御旨は神御自身におきましてもあると同時に、我々個々人におきましても、同じ責任である。
人間がそういう責任に立っておるというと、人間のために造られた万物もそういう責任に立っておるということを思う時に、天と地と神と我々人間とすべてが合体(がったい)化して一つになって、この願いの目的の世界をいかに果たし得るかということが、我々の当面している重大な問題であります。
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次回は、「因縁と関係と願い」をお届けします。