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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(143)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第二部[講話集]生命と愛と理想を懸けて
十、約束と誓い

▲金元弼先生

啓示や教えを自分のものにする

 長い間先生に仕えながら、私が見たのは、今話したその心情でした。私が幼くして入った時に、たくさんの役事さんや霊能者がいました。啓示によって先生に侍ったのです。それぞれの人たちは、すべて神の啓示によって先生と出会い、先生に知られた方たちでした。そして、先生の前に、神を前にして、「私は一人でもあなたのために尽くします」と誓った人々がたくさんいました。しかし、その人たちは一人も残っていません。神のお告げによって導かれたのは、自分の力によるものではないのです。

 それで、自分の力による立場に立つために、神の啓示を自分のものとして生活していかなければならない過程があったのです。神の啓示があれば、誰でも行けます。どんなに難しくても行けるのです。しかしその啓示はあくまでも神の啓示であって、自分のものではないのです。神が私たちに下さる啓示の内容は、「み言(ことば)を自分のものにしてください」ということなのです。

 啓示するのは、「あなたをして、このみ言を数多くの人に必ず分け与えてくれたまえ」という意味なのです。霊能者たちは、神からの啓示をたくさん受けます。そうすると、黙っていられないのです。必ず数多くの人たちに、その啓示を伝えます。伝える人は、必ず神の教えを私のものとしなければいけません。そうすれば、神の啓示は自分のものです。神のものを告げる者にならなければいけないのです。

 神は人間に対して約束をなさいました。幸福は、もともと誰のものであったのですか。神御自身のものであったのです。それを自分のものとして、そして、数多くの人のものとして分かち与えていくということなのです。神の啓示も同じく、自分のものにしなさいということです。

 洗礼ヨハネは、「この方がメシヤです」と証しました。実はそれ以前は、イエス様がメシヤであることは分からなかったのです。ただ啓示という現象を見て、これがイスラエル民族の待ちに待ったメシヤであるということを知ったのです。洗礼ヨハネは、その啓示をもってキリストを見て、神の子として証したのです。ところが、神の子を証す前に、自分に証さなければならなかったのです。

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 次回は、「自分を伝道する」をお届けします。


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