2024.01.31 17:00
拉致監禁・強制改宗
後藤徹さんの闘い 14
「2年ぶりのカレーとあんぱん」あまりの嬉しさに涙
(世界日報 2023/10/11)
98年に「後藤」の名が 宮村氏、別の監禁女性に漏らす
守衛からの電話で「13年」という監禁期間と「後藤」という名前を聞いた当時の統一教会広報部長・太田朝久氏が、「本物だ!」と興奮して叫んだのはどうしてなのか。
カレンダーを1997(平成9)年6月7日に戻す。この日、「4300人」(統一教会の主張)という拉致監禁被害の中でも、極めて異常な事件が起きた。「鳥取教会襲撃事件」と呼ばれている事件だ。
後藤徹さんのケースのように、統一教会信者に対する強制棄教は通常、信者が実家に帰るか、1人になった時を狙って拉致し、マンションの一室に監禁するという段取りで行われてきた。しかし、この事件の被害者、富澤裕子さん=当時(31)=の場合は、暴力がさらにエスカレートした凶悪性が目を引く。白昼、鳥取教会内に侵入した暴徒と言うべき人たちによって、暴力をもって拉致されているからである。
富澤さんの陳述書や関係者の証言によると、事件はおおむね次のようなものだ。すでに一度、監禁を経験していた富澤さんはこの日午後、教会内で女性の教会員1人の立ち会いの下、母親との話し合いを行っていた。ところが、そこに突如、父親をはじめ十数人が乱入してきた。その中にはスタンガンや鉄バール、鎖を持っている者もおり、止めに入った教会職員らには暴行が加えられた。
「助けて! いやだ、いやだ」と泣き叫びながら、富澤さんは必死に抵抗したが、男数人に担ぎ上げられ、力ずくで車に押し込められて連れ去られてしまう。統一教会信者に対する拉致監禁事件の中でも、例のない常軌を逸した暴力による手口だった。
結局、富澤さんは1年3カ月余の監禁を経て、98年9月に自力脱出に成功するが、その半年前の同年3月9日、監禁されていた大阪のマンションに、東京から元信者2人を引き連れてやってきたのが悪名高い脱会屋の宮村峻氏だった。
富澤さんの脱会説得を行ったのは、キリスト教神戸真教会の高澤守牧師だった。宮村、高澤の両氏は反統一教会派牧師らの中でも、特に親しい仲で、常日ごろから強制脱会活動の情報交換を密に行っていたといわれる。
宮村氏が大阪までやって来たのは、監禁から9カ月たっても脱会しない富澤さんの説得に高澤牧師がてこずっていたからだ。そこで手伝うためにやってきた宮村氏だが、実際に彼女の前で、激しい口調で統一教会批判を行ったという。
信仰を守り自力脱出に成功したとしても、監禁によって心身を病んだり、著しい障害を負う信者は少なくない。脱出からほどなくして、心身のケアのため上京した富澤さんは、太田部長に会った。その時、富澤さんが真っ先に伝えたのが、後藤さんについて語った宮村氏の次のような言葉だった。
「東京に、説得し始めて2年半になるヤツがいるが、言うことを聞かずに、いまだに抵抗している。後藤というヤツだ」
富澤さんは監禁中、この言葉が頭から離れなかった。「この話を聞いてから半年になりますから、(監禁から)もう3年になっているはずです。後藤さんから脱会届けが来ていなければ、今も監禁され続けています」と、太田氏に訴えたのだった。
富澤さんから3年も監禁され続けている教会員がいると聞いて、「すさまじい人権侵害じゃないか」と強い衝撃を受けた太田部長。それからも、「後藤」という名前が頭から離れなかったという。
姿の後藤と名乗る男性が13年近くの監禁から解放されたばかりだと訴えている、と知らせを受けた瞬間、太田部長の頭で逆算が始まっていた。
<98年から3年引くと95年。2008年から13年引くと95年。よし、ピッタリ合う。後藤は、間違いなく拉致監禁の被害者だ!>
守衛が太田部長に電話したことは後藤さんにとって、信者A子さんと出会ったことに次ぐ幸運だった。
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次回は、「『二度と犠牲者を出さない』後藤さんの闘いが始まった」をお届けします。