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拉致監禁・強制改宗
後藤徹さんの闘い 13
「私も食口ですよ」A子さんとの出会い「全細胞が感動して」涙

(世界日報 2023/10/11

聖歌を目にし顔緩む 道聞いた信者近くにも被害
 東京・荻窪の監禁場所から歩き続けた後藤徹さんは、東京・渋谷の山手通りにある「松涛2丁目」交差点で、一歩も動けなくなった。それから、10分ほどたっただろうか。

 統一教会本部への道を尋ねるため、中年男性に続いて声を掛けた若い女性は「えっ」と驚いたような表情をした。

 「世界基督教統一神霊協会です」と、教会の正式名称を挙げて、再び尋ねた後藤さんに対して、その女性は「どうされるのですか」と逆に聞いてきた。そこで「信じてもらえないかもしれませんが」と前置きし、12年を超える拉致監禁から解放されたばかりであることを打ち明けた。

 すると、女性はおもむろに、バッグから大きな聖歌を取り出して「私も食口(シック)ですよ」と言いながら後藤さんに見せた。「食口」とは「家族」を意味する韓国語で統一教会内で、同じ教会員に対して親しみを込めて使う言葉だ。

 つまり、この女性は、後藤さんが拉致監禁された1995911日以来、125カ月ぶりに出会った統一教会信者だった。後藤さんが放り出されるように解放された2008210日は日曜日。キリスト教会では日曜礼拝が行われる日である。

 女性は日曜礼拝で神を賛美する聖歌隊に入っており、聖歌を持ち歩いていた。聖歌を見せた時、その女性は、それまで硬かった後藤さんの顔がほっとしたように緩んだのがはっきり分かったという。

 のちに、統一教会に調べてもらい、この女性は教会の信者で、会社員のA子さん=当時(31)=と分かった。後藤さんが動けなくなった場所が、松涛2丁目交差点だったことを証言したのもA子さんだ。取材班のインタビューで、A子さんは超長期間の拉致監禁から解放されたという後藤さんの説明を「そうなのか」と、素直に受け取ったという。

 この時、後藤さんは何枚も重ね着した上に、ジャージーのズボン、それに革靴という格好。まるで浮浪者のような姿で、にわかには信じ難い長期の拉致監禁被害を語る男性の話を、どうしてA子さんは不審に思わなかったのだろうか。

 その理由も、統一教会信者に対する拉致監禁の広がりを示すものだった。

 A子さんは東京都内の教会で伝道されたが、その教会では統一教会に反対するキリスト教牧師らによる強制棄教の被害に遭う信者が少なくなかった。A子さんを統一教会に導いた女性もその一人だった。北海道の実家に帰ったあと、それきりになってしまい、最終的に棄教している。A子さんは「軟禁されたと聞きました」という。

 2000年のことだが、強制棄教させるための拉致監禁事件を身近に感じていた統一教会員が多いことを物語るエピソードと言えよう。こうした背景を知れば、帰宅途中だったA子さんが偶然に声を掛けてきた後藤さんの説明をそのまま信じたのも納得できる。

 210日といえば、東京では一年で最も寒い時期。長期の“食事制裁”で栄養失調に陥っていた後藤さんが、そのまま路上に倒れていたら、どうなっただろうか。

 「普通の姿だったら、誰かに助けていただいたでしょうが、浮浪者のようないでたちだったので、凍死していたかも。ホームレスではあることですからね。あそこで、教会の人に会うなんて、あり得ない。奇跡です」(後藤さん)

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 次回は、「『2年ぶりのカレーとあんぱん』あまりの嬉しさに涙」をお届けします。