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拉致監禁・強制改宗
後藤徹さんの闘い 12
「本部まであと15分なのに」激痛が走る膝、痛む筋肉

(世界日報 2023/10/11

新鮮に映った通行人 解放感かみしめ進む
 後藤さんにとって、12年ぶりに外の空気を吸って自分の足で道を歩くことは、とても新鮮な感覚だった。長年にわたって閉ざされた空間で、同じ人の顔だけを見て過ごしてきたので、全く見知らぬ人が行き交っていることまでが目新しいものに映った。

 監禁下の室内で針を刺すような視線もなければ、心をずたずたにする叱責もない。ただ見知らぬ人が自分のそばを通り抜けて行く。当たり前のたったそれだけのことで<自由になったんだ>という解放感をひしひしと感じた。

 監禁から脱出した信者は、たいてい再び監禁されることへの恐れを抱き、その後たまたま誰かの視線を感じたという、ちょっとしたことにも怯えを持って歳月を過ごす場合が少なくない。

 後藤さんは2回、拉致監禁された。1987(昭和62)年の1回目の監禁から脱出した時は、そうした怯えを持った日々を過ごした。<また拉致監禁されるかも>という恐怖が、常に頭から離れなかった。

 だが今回は、ついに家族が後藤さんを抱えきれなくなって、向こうから放り出した。「もうこれで二度と監禁されることはないだろう」という安心感と解放感があった。

 その意味では、最初の拉致監禁から数えると「20年ぶりの解放感」(後藤さん)に浸り、それをかみしめながら歩いていた。

 <早く行かないといけない>と急ぎ足だったが、心の一方ではスキップしているような弾む気持ちもあったという。

 途中でラーメン屋や定食屋の看板が見えるたびに<せっかく出たのだから、腹いっぱい食べたい>と思ったりしたが、所持金がなかった。ただ東京都渋谷区松涛という住所だけが頭にあった。とにかく、まず統一教会本部に行ってからだ、と思って先に進んだ。

 全身の筋肉は削げ落ちていた。超長期間にわたって一室に閉じ込められていたためだが、脱出したり、助けが来たときのため、備えは怠らなかった。

 いざというときに素早く逃げられるよう、毎日欠かさず体を動かした。スクワットと腕立て伏せ、3分ほどの足踏みなど、1日に15分ぐらいは運動を続けていた。

 だから、少しは歩けるはず、と自信があった。監禁現場の荻窪3丁目から杉並区役所の前を過ぎ、青梅街道と山手通りが交差する東京メトロの中野坂上駅(中野区)までの5キロほどの距離は、わりと速いペースで歩いた。

 山手通りを右に折れて少し進むと、左手側に東京・西新宿にある東京都庁や林立する高層ビル群が見えた。<久しぶりの新宿だ。やっと帰ってきたんだ>と懐かしさが込み上げてきた。

 だが、長い時間、長い距離を歩いていない足には、その負担は厳しく重かった。新宿区から渋谷区に入ったあたりから、足が痛みだした。速足で進んでいたペースもだんだんと落ち、ついにノロノロとした歩みになった。

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 次回は、「『私も食口ですよ』A子さんとの出会い」をお届けします。