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スマホで立ち読み Vol.30
子どもの心をひらく 3

村上小夜子・著

(光言社・刊『子どもの心をひらく』〈20161030日初版発行〉より)

 スマホで立ち読み第30弾、『子どもの心をひらく』を毎週月曜日(予定)にお届けします。
 長年、幼児教育に携わってきた村上小夜子・光の子園副園長が、その経験から得た内容を紹介しています。「ねばならない」「こうあるべき」という教育から、子供が本来持っている神性を引き出す教育へと転換する方法をお伝えします!

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1章 したいことをさせる

「わがまま」とは捉えない「子どもの本音」

  したいことをさせると言うと、「わがまま」になるのでは、と懸念する人がいますが、そうではないと考えています。

 「わがまま」を辞書で引くと、「自分の心のままに振る舞うこと。身勝手」とあります。「自分の心のままに振る舞うこと」は、自分一人でやる分には問題ありません。心のままに自分を表現して、自由奔放に伸び伸びと生きていくことができれば、どんなに嬉(うれ)しいでしょう。

 「身勝手」というのは、二人以上の人間関係を結んだときに、そのように見えるということです。相手からすると、「なんで?」「今?」「困る!」と思えることが多いので、時と場所に合わない子どもの行動に「わがまま」と言ってきたのだと思います。

 人間は一人で生きていくことは難しいです。必ず、家庭・社会の中で生きていくわけですから、わがままと言われている心の中にある本音を引き出していく教育が求められていると思います。

 ある教会学校の小学生(16年生)の日曜礼拝で話をしました。光の子園のある園児が4年間、自分の喜怒哀楽を思う存分出して、先生を泣かせた話をしました。しかし、その園児は、祈られて、愛されて、皆に育まれ、み言(ことば)が心にしっかりと植え付けられて育ちました。

 小学生たちに、「あなたたちもこういうふうに親を泣かせたりしたでしょう? それはあなたのわがままでしたか、本音でしたか?」と尋ねると、全員が「本音」に手を挙げました。

 子どもは誰も、自分がわがままだとは思っていません。大人の言うことを聞かない子どもを、大人がそのように表現しているのです。しかし、大人の私も、過去は「子ども」だったのです。

 聖書のイエス様のみ言に、「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう」(マタイによる福音書183節)とあります。

 子どもが心の成長を遂げる時には、個人の良心、神性を引き出して収めてあげるところまで、大人が責任を持つことが大切です。心を納得させるには、愛すること、認めることです。抱いて祈ってあげることです。それからです、み言を語るのは。やりたい放題の野放図ではありません。光の子園は、子どもの「わがまま」と言われるものを「本音」と受け止め、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生が下さった教育目標、「愛天」「愛人」「愛国」にかなった子女に育てるため、奮闘してきました。その内容を紹介していきたいと思います。

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 次回は、「好奇心旺盛な子ども」をお届けします。



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