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孝情を育む 6

 『ムーンワールド』で連載された、蝶野知徳・家庭教育部長による子育てに関するエッセーを毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 孝情を育む子女教育について、どんな姿勢で向き合えばいいのかを分かりやすく解説しています。

家庭教育部長 蝶野知徳

自己を否定する

感謝で自己否定をする
 創造が愛であり、復帰が愛の復帰であることを考えると、子女に困難を感じたとき、難しい子だと思うこともできますが、私の家庭に愛を持ってきてくれた子だと見ることもできます。

 障がいを抱えた子女であっても、真なる愛のために、この家庭に生まれてきてくれたと理解することもできます。それよりも貴い理由はありません。人間はもともと愛のために生まれてきています。神様もこの愛のために全てを犠牲にされました。愛とはこのように、あまりに貴いものなので、私たちはいかなる現実のただ中でも、その愛を創られた神様に「感謝」を捧げ、その愛のために生まれた子女にも「感謝」しなければなりません。

 自分が中心となった、反射的に出てくる思いをそのままにしておかず、一瞬一瞬、み言をもって、生活すべきです。神様は現実の中に、真実を見いだす私と共にいてくださいます。

過去の失敗に返る自分
 子女への愛し方や関わり方が不器用で誤解が生じ、関係がこじれてしまうと、親は自分を責めたり、過去の失敗をいつまでも後悔したりすることによって、心が前に進めなくなることがあります。ある夫婦は、子女を信仰に導く努力がいつも徒労に終わると感じるとき、子女が幼い頃、家に一緒に居てやれなかったからだと悔やむようになっていました。しかし、子女の困難な事情に直面するたびに、その変えられない過去に自分を戻して悔やむことは、過去の事情を未来に引きずることになります。

 この「自分の思い」によって、自分の心が、生きて働かれる神様の願いや知恵を受け入れなくなってしまいます。悔やむことによって「自分」を強く思ってしまい、「自分」が強くなるのです。天の深い同情があったとしても、結局、そのことを通して、今度は「神様を否定」してしまっていることにもなるのです。

 蕩減時代には、無条件に自己を否定すべきであると教えられてきましたが、蕩減だけでなく実体を創り上げていかなければならない今の時代は、神様に対する「感謝」によって「自己否定」します。神様に対する「感謝」は、原理的な目的性を持ちつつも、自己が否定されています。自己が否定されながらも、感謝によって愛を捧げていくので、同時に自身が創られていく可能性を持っているのです。

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 次回は、「愛の責任」をお届けします。


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