2024.01.05 12:00
孝情を育む 4
『ムーンワールド』で連載された、蝶野知徳・家庭教育部長による子育てに関するエッセーを毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
孝情を育む子女教育について、どんな姿勢で向き合えばいいのかを分かりやすく解説しています。
家庭教育部長 蝶野知徳
祝福子女の性質に真実で対そう
誕生した背景は明らかに神様
“祝福の子女”という存在は、歴史的に見て、神様の悲願と言えます。その誕生した背景は明らかに神様です。真実そのものです。彼らは真実でない世界に対する心霊的な枯渇を、一般の子女と比較にならないほど強く感じる傾向があります。満たされない時に表現する態度が、周囲には問題行動のように映り、誤解が生じることさえあります。常に愛に敏感であり、親に対して厳しい目で見ることもありますが、その厳しさ自体が、実は神様から来ているものなのです。この理解がとても大切です。互いが偽りなく「真実」に結び合いたいという本性的な強い欲求は、それ自体を願う神様から来た性質なのです。ですから、ただ世俗的な交友関係の中で合わせて生きてみても、本当に息苦しく、表現できない矛盾を感じることも多いのです。
神様からきた私を体験させる
私たち父母が、そのような祝福子女の持つ背景を理解できず、私を中心とした基準のみで関わり続けると、子女は自身の中にあるその性質をどう扱ってよいのか分からなくなってしまいます。それが善なのか、悪なのかを感じられずに、本来、発揮すべき天的な性稟を閉ざしてしまうことがあります。「教育」や「育む」ということは、子女が持つ性質を引き出してあげ、「神様によって生まれた私」であることを本人自身に体験させ、確認させてあげることです。それが最も貴いことなのです。
本性が求めるものに体験が合う時
一度、親との関係の中で、子女自身が湧いてくる思いが「善」であったと確認できれば、同じことで親に求めない傾向があります。それは、親を慕う「子女の愛」の中に神様の愛の要素を豊富に含んでいるからです。親自身は「この子は親に厳しい」と感じる一面があるかもしれませんが、実はそれは神様から来る愛だと親自身が気づいてくれたと確認できれば、子女自身は次の段階に自分で上がっていくのです。いつまでも、同じ次元の情をダラダラと求めません。つまり、血統において神様の情が根本にあるため、本心基準がスーッと上がるのです。本性が求めているものに体験が合うと、そうなります。そして瞬く間に親を超えていくようになります。それが神様の背景を持った子女の特徴なのです。
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次回は、「信じること・愛すること」をお届けします。