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孝情を育む 3

 『ムーンワールド』で連載された、蝶野知徳・家庭教育部長による子育てに関するエッセーを毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 孝情を育む子女教育について、どんな姿勢で向き合えばいいのかを分かりやすく解説しています。

家庭教育部長 蝶野知徳

神様の深い愛に出合う

神様の愛の尊さ
 私たちがいくら足りない父母だとしても、神様は、私たちを通して(ご自身の)子女たちを育てようとされます。これは間違いありません。そうであるならば、その神様の立場を常に考えたいのです。

 私たちが子女のために祈るとき、神様は祈りの中に出てくるその子女のことだけではなく、涙して祈りを捧げる父母自身のことを同時に抱えておられます。どれほどありがたい神様でしょうか。どのような歩みであっても、私たちは主体であられる神様を無視できないようになっています。神様の愛よりも尊いものはないのです。そのような神様の願いの中で生きる喜びが基盤となった父母の愛が、子女を生かすようになっているのです。

神様の愛と解放の体験
 子女の素行に万策尽きて絶望していたある婦人は、頭の中では親の責任として受け止める努力をしていました。しかし、祈祷する中でも、今までの苦労が裏切られたという思いと、自分が病身で手がかけられなかったことを理由にしたい複雑な気持ちを拭うことができませんでした。

 その頃、経済的事情もあって働き始めた職場で理不尽な出来事が相次ぎ、職場の仲間から無視されるなどして孤立し、そのうえ娘の家出が重なり、精神的にも限界でした。すべてを投げ出したくなる心境の中で、それでも自分には神様しかいないのだと祈っていくと、自分を背後で愛し助けてくださっていた神様、幼い頃から娘にずっと寄り添ってくださっていた神様が次々と思い出され、われ知らず感謝の心で神様を求めるようになっていました。すると入院している母に会いたくて見舞いに来た幼い頃の娘が目に浮かびました。会話もかなわず、毎日寂しく家に帰っていく姿が、職場で無視されている自分と重なり、娘がどれほど寂しい思いに耐えてきたのかを痛感し慟哭したといいます。

 そして深く深く悔い改める度ごとに、娘だけでなく、私たち親子を今に至るまでずっと抱えて愛し、摂理し続けてこられた神様の表現できない深い愛と出合い、その婦人の心が完全に解放されてしまったといいます。まだ問題は解決していなかったにもかかわらず、心は平穏で、愛したいという衝動だけが残る不思議な境地だったといいます。その心で娘と向き合うと、神様がすでに準備されていたかのように娘の心が溶かされていました。そしてお互いの心を表現し合えるように導かれて、親子が和睦して一つになってゆくことができたのです。

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 次回は、「祝福子女の性質に真実で対そう」をお届けします。


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