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孝情を育む 2

 『ムーンワールド』で連載された、蝶野知徳・家庭教育部長による子育てに関するエッセーを毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 孝情を育む子女教育について、どんな姿勢で向き合えばいいのかを分かりやすく解説しています。

家庭教育部長 蝶野知徳

全ては愛のために起こる

自分の思い
 私たちが直面する出来事には全て復帰原理的な目的があります。無意味に起こるものは一つもありません。自分の思いに限界を感じたとき、それらを全て捨てることができれば、また道が開けてくるものです。

 ある婦人は、子女が学校に行けずに家にいることを相当悩んでいました。それを「育児に関わらない夫のせいだ」と責めたり、「いじめがあるのは学校の責任だ」として担任や校長に何度も進言したりしていました。また、「いじめられたくらいで学校に行けなくなる子女の弱い心を強くできないものか」と葛藤し、悩んでいました。考えられるあらゆる策を講じ、行動しました。しかし、一時は改善されたかと思うこともありましたが、どんな方法でも、結局、事態は悪くなる一方でした。自分の考えや取り組みがことごとく否定される中で、「自分の思い」を主張し続けることにむなしさを感じ始めていました。

 そのような頃、父母勉強会で聴いた「全ては愛のために起こる」という言葉が、心の中に素直に入ってきました。愛することでなく、子女の状態に心を奪われ、自分自身の内面が周りへの怒りや要求心で満ちていたことに気づいたといいます。それが愛だと自分の中ですり替えながら納得していたつもりでした。子女や夫に対して向けていた心が、ただの要求心でしかなかったことに気づき、自然と心から深く悔い改めていました。
 すると、今まで理解できなかった子女の気持ちを、自分が教会の人間関係の中で体験したり、また子女に無関心のように見えた夫が実はそうではなく、子女の気持ちは夫のほうが分かっていたことを知ったり、2か月の間に多くの悟りや体験をし、本来注ぐべき愛情が発見できたそうです。自分自身が変化するにつれて、いつの間にか子女も立ち直り、教会に足を運ぶようになり、夫婦で子女の話題で授受作用ができるようにまで変わりました。

愛ではなかったと気づく
 振り返ってみると、「神様の子女を育てる」というのは言葉だけで、その中身は神様の愛も忘れ、自分の思いに固執し、子女に向けた愛も愛ではなかった、全部「自分の思い」でしかなかったと気づき、執着や葛藤から解放されたそうです。苦痛ばかりであった家庭の問題を通して、私に愛を教え復帰させようと摂理してくださる神様と出会ったといいます。
 愛を失った人間が愛を取り戻していく摂理を、神様は環境を通して教えようとされるのです。

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 次回は、「神様の深い愛に出会う」をお届けします。


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