2024.01.03 17:00
拉致監禁・強制改宗
後藤徹さんの闘い 10
ニンジンの皮、キャベツの芯「もう危ない」体力は限界に
(世界日報 2023/10/11)
少量の生米で生き抜く 生ゴミの人参の皮もかじった
後藤徹さんのハンスト30日間も壮絶な日々であったが、その後の約70日間も、言葉ではとても表現し尽くせない過酷な日々であった。少々の重湯と1日1リットルのスポーツドリンク(ポカリスエット)だけという日がずっと続いた。重湯は、生米を鍋で煮た白い上汁で、1回の食事時に直径7センチ深さ5センチほどの丸い小鉢に7分ぐらいの分量だけ。まさに、食事制裁だった。
最初は、ハンスト明けの体を思いやっての流動食だと受け止めた。だが、体が固形食でも大丈夫になり、もっと栄養を求めている段階に回復しても、ずっと流動食が続いた。後藤さんの食事だけは毎食、重湯の小鉢だけが目の前に出た。
小鉢を手に取り、5分ぐらいかけてそれをすすると、あっけなく食事は終わってしまう。
〈これでは死ぬんじゃないか、もう危ない〉と危機感を抱いた後藤さんは、台所の冷蔵庫の扉をそっと開け、そこからマヨネーズや調味料を抜き取りなめていた。ところが、その日も同じように冷蔵庫を開けて見ると、調味料がすべてどこかに隠されてしまっていた。
ある時は、捨てた生ゴミの中から、ニンジンの皮やキャベツの芯をそっと抜いて、がりがり口にした。家族の目に分からないようにしたつもりだったが、これも見つかった。それ以後、生ゴミも所在が分からないように隠された。
食事制裁で、後藤さんの意識は時に朦朧となり、体力的には極めてきつい状態が続いた。〈これはもう本当に危ない〉と思い、今度は炊飯前の水に浸した生米に目を付けた。見つからないように生米だけを取って、それをかじった。
毎日、炊飯前の時間にトイレに行って、手を洗うふりをして、そばにボールに浸してあった生米を抜いていった。なぜか、それは見つからなかった。コップに3センチほどの量を抜いて、毎日それを少しずつ食べて何とか生き延びたのである。
生米を抜くと、元の米の量にちょうど合った計量の水は、少し多めになる。家族は炊き上がったご飯をほお張りながら、「なんか水気が多いなあ」と不満、不審な顔を見せた。後藤さんは、平静を装いながらも、心の中で〈神様! ばれないようにしてください!〉と必死に祈っていた。
家族は「おかしいなあ」とぶつぶつ言いながら食べるのだが、この件だけは後藤さんのせいにすることはなかった。もし見つかれば、どんな制裁が待っているか知れたものではなく、後藤さんは気が気でなかった。
炊き上がりの水っぽいご飯が連日続き、家族は「この炊飯器は壊れた」と言って炊飯器を新調した。まるで、サスペンスドラマのようであるが、奇跡的な本当の話である。
それでも〈体はいつまでも持たない〉と思った後藤さんは、知恵をめぐらした。06年7月ごろ、兄に「私は脳みそに血が回らなくて何も考えられない。検証も何もできない。お願いだから、なんとかしてほしい」と訴えると、兄は渋々、食事を元に戻し始めた。
実は、その次の日に、米を取っているところを母親に見つかってしまった。もうクセになっていたのだが、ちょうど食事を戻し始めた時期だったのが幸いし、たわいもない行為として見過ごされたのである。
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次回は、「『2008年2月』生活が苦しくなり無一文で放り出された」をお届けします。