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拉致監禁・強制改宗
後藤徹さんの闘い 9
「このままでは本当に殺される」ハンスト抗議の末に
(世界日報 2023/10/11

ついに抗議のハンスト 兄嫁に平手打ちされる
 とうとう後藤さんは不惑の40歳になった。すでに監禁は8年に及んでいた。これまで何度も脱出を試みたが、その都度取り押さえられた。長期にわたる監禁による体力の衰えと力の行使に無力感を感じていた。そんな中で、ついに20044月に、21日間のハンガーストライキを決行したのである。

 ハンスト中も、家族に「もう8年だぞ! 当時生まれた人間はもう8歳だ。こんなに閉じ込めて人権侵害だ!」「30代というのは人生で最も気力体力が充実している時だ。それを社会から隔絶された所に閉じ込められて、まるまる奪われたんだぞ。どうしてくれるんだ」と、激しく抗議を繰り返した。

 民主主義国家の国民が持つ基本的権利の一つである選挙権の行使も、力ずくで奪われたままである。「いったい何回、選挙権を奪ったと思っているんだ!」「これを人権侵害と認識できないというのは、あんたらの考え方がよほど狂っている。何でそれが分からないのか。それこそ非常識じゃないか」「これは拷問だ!」とも追及した。

 しかし、家族は後藤さんの糾弾に取り合わなかった。馬耳東風で、全く人の話を聞こうとしなかった。「自分の頭でよく考えろ」「性根の腐った人間に人権など無い」などと言って、逆に棄教を迫ってくる始末だった。

 特に兄嫁は、ひどかった。後藤さんのハンストを激しく非難してきた。興奮して後藤さんの顔を平手打ちで思いっきり叩いた。兄嫁は女性にしては筋肉質で体格が良かった。多い時で、日に45回、それも力いっぱい叩かれたのではたまらない。そのたびに衰弱していた後藤さんの上体は左右に大きく揺れた。叩かれた顔はあごを上下するだけで痛みが走った。兄嫁の方も手のひらを痛めたらしく、右手親指の付け根にずっと湿布を張っていた。

 ある時は、何を思ったのか、目をつり上げて憎々しげに「目を覚ましなさい」と言うなり、ボウルの中に入れた冷蔵庫の角氷を、後藤さんの背中にがらがらと流し込んだりした。ハンストも10日目を過ぎると、体はフラフラになった。身動きするのも大儀になり、横になることが多くなった。トイレに行くのもおっくうで、その中で何度か倒れそうになり、立って用を足すことも難儀だった。21日間のハンストはなんとかやり終えたが、兄嫁の平手打ちはその後も続いた。

 ハンストが終わってからのある時、後藤さんが座禅をしている様子を揶揄して絵に描いた兄嫁は、その似顔絵の紙に「真理を追求する男、私の名は徹」という文言を添えた。そして、食事の時に、後藤さんの目の前に電気スタンドを持ってくると、それに似顔絵を張り付けて「これを見ながら食べなさい」と命令したりした。

 断食で体力気力を消耗し尽くした後藤さんは、あとは気力も出ず、抵抗もできない感じになっていた。怒る力もなく、その紙を黙って引き破り、ゴミ箱にいったんは捨てた。

 それが食事が終わってから考え直した。「拉致監禁されていたことの証拠品になるかもしれない」と思い、ゴミ箱から切れ端を取り出し、全部をつなぎ合わせてセロテープで張り合わせた。そして、ずっと隠し持っていた。

 だが、残念なことに、最後にこの似顔絵を持って部屋を出ることができなかったのである。

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 次回は、「ニンジンの皮、キャベツの芯『もう危ない』体力は限界に」をお届けします。