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拉致監禁・強制改宗
後藤徹さんの闘い 8
上着はボロボロに破かれ、血は畳にしたたり落ちた
(世界日報 2023/10/11

血だらけの大立ち回り 兄は欠勤して張り付きに
 手元に置かせてほしいと求め、いったんは拒否された「現代用語の基礎知識」を、家族は翌20001月になると持ってきた。また、このころから産経新聞が“支給”されるようになった。後の話だが、新聞は産経から東京新聞に変わり、それも066月ごろからは来なくなった。

 「現代用語の基礎知識」や新聞を見て、世間の活気やそこに生起する出来事を知るようになった。そして同時に、マンションの1室に監禁され、心身の自由な活動を封じられている事態の深刻さをひしひしと感じざるを得なかった。

 「このままでは、世の中から隔絶されたまま、一生ここから出られない」。抑え難い不安と恐怖に襲われると、夜も眠れなかった。

 一度、やみくもに部屋の窓に突っかかり、脱出に失敗している後藤さんは、次は厳重に施錠された玄関口を目掛けて突進して行った。しかし、804号室の間取りは、家族のいる部屋やキッチンが直列的に並んでいて、後藤さんの部屋から玄関までに行くのに、ずいぶん距離を感じたという。玄関に向かって行くたびに家族に取り押さえられた。

 後藤さんは大声を出した。力の限り「助けてくれー」「警察を呼べ」「出せ!」などと狂ったように叫んだ。家族は慌てた。周辺に聞こえないように、後藤さんの体を布団でくるみ、手で口を押さえつけた。息ができなくなるほどで、そのまま窒息してしまいそうだった。

 兄と一対一でもみ合いになると、羽交い締めにされ組み伏せられてしまうほど、体力が落ちていた。妹と母も、これほどまで、と驚くほどの怪力を出した。

 大立ち回りで、顔や手足は血だらけ、体中あざだらけになることもしばしばで、上着はボロボロに破かれた。血が畳にしたたり落ち、タオルで手や畳をふいた。アザだらけになった体を兄に見せ、「これを見ろ、ひどいじゃないか!」と責めたが、兄に「おれもそうだ」などと居直られて相手にされなかった。

 人間だけでなく、家財の損傷も激しかった。数本の金属棒で枠を作った台所の棚は変形し、中央の部屋と玄関前の部屋との間を仕切ったアコーディオンカーテンは破れてしまった。

 傷や打ち身のために体中が痛んで、夜遅くまで眠れなかったこともしばしばだった。もみ合いの最中、右手薬指をひねり、骨が曲がってしまった。激痛が走ったその時の痛みは23カ月の間、消えなかった。

 兄は会社を休んで、804号室にずっと詰めるようになった。張り付きといった状態で、後藤さんが騒ぎだせば、すぐに羽交い締めで阻止してくる。後藤さんはあらゆる機会を見計って脱出しようとするので、そのたびに家族はとっさに動き、取り押さえ込む。

 こんなことが多いときで1日に8回ほどあって、その繰り返しが1カ月前後続いた。

 後藤さんも、もうこれ以上は力が出ないと思うほど抵抗したが、受けて立つ家族たちも、さすがに疲労困憊(こんぱい)のようだった。

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 次回は、「『このままでは本当に殺される』ハンスト抗議の末に」をお届けします。