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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(138)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第二部[講話集]生命と愛と理想を懸けて
十、約束と誓い

▲金元弼先生

約束は互いがするもの

 世の中のすべての問題は、約束を守らないことから起こるのです。そして、いつも考えなければならないのは、約束はお互いが幸せになるためのものだということです。それゆえに、約束をする時には、一方的にしてはいけません。ややもすればリーダーになった人は、一方的に約束を強要することがあります。そうではなくて、相手を「そうしましょう」という立場に必ず立たせて約束をするのです。ですから、必ず相手の話を十分に聞くようにしてください。

 皆様は、いいアイデアをもっていて、教会員が全然頭も上がらないような人であっても、教会員の意見を先に聞いて、それから自分の意見に納得させ、「それじゃ、私の考えよりも、あなたの考えはもっといいです」という立場に立たせて話していくのです。自分がしたくて、したような立場に立たせなければなりません。そうでないと、プッシュされたという印象を与えます。プッシュというのは、自分の意志がないということです。

 神の創造の理想は、約束から始まったということをよく御存じだと思います。神は人間に対して約束をなさいました。創造理想は、約束が成就することによって初めて地上に実現するということを推し量れます。

 しかしながら、まだまだ神の約束は約束として残っていて、いまだに神はその約束が成る日を待っていらっしゃるのです。そういう摂理が復帰の摂理です。

 神の理想は、神御自身で成すことができればいいのですけれども、それは、人間が信じてついていかなければ実現できないものなのです。神と人間との約束が果たされるのか、それとも果たされないのかということが、神の理想が実現できるか、実現できないのかという問題に直結されると思うのです。

 約束というのは一人ではできません。約束には必ず主体と対象、約束をする者と約束をされる者がいて、お互いが良き理想を実現せんがために約束をなすのです。実現すべき目的が大きいにしろ、小さいにしろ、その目的を中心として主体と対象との間になされるものが約束なのです。

 神の創造理想の実現という課題を中心として、神と人間との間に約束が結ばれたのです。その約束の実現のためには、神の対象である人間の誓いというものが伴うのです。

 実現するためには、約束だけでは済まないのです。その約束を成就せんがための誓いが必要です。ですから、出発して必ず誓いを全うしてから目的が成るのです。ところが、約束はしたけれども、約束が成就されるような環境になっていません。黙っていても自動的に約束が成されるような環境になっているのではなく、神に対する人間の誓いの心情が変わらないことによって、初めて成されるというのです。

 黙っていても約束が守れるという環境に置かれなかったのは、人間を完成させ、万物を主管し得る、神の身代わりとしてつくらんがためであったのです。これが、私たちが原理で習っている人間の責任分担なのです。

 神御自身も、ただ約束しただけで待っていたのではなく、神としても人間に対して約束したとおりに、その誓いによって約束を成就する人を待っていたのです。神御自身も人間が約束を守るように、守れなかったらどうなるのだろうと、そういう心情をもって待っていらっしゃったことを知らなければなりません。

 人間自身が神を中心として一度約束したその約束というものは、一時的な約束ではありません。永遠の約束として成就しなければならないという神の心情は、いつまでも変わらないのです。その約束が成るその日まで、誓いの心情を継続しなければならなかったのが、人間の立場であったのです。人間はその約束を守れなかったけれども、神は人間に対して永遠の約束として守ろうとされたことを知らなければなりません。人間が変わっても、神は人間に対するその約束を変えることはできなかったというのです。

 なぜならば神は、永遠なる神です。ですから、神の約束は永遠の約束であったのです。そういうことで、その約束が守られなかったために、復帰摂理は6000年の長い路程となったことを理解しなければならないと思います。

 人間は、約束を忘れてしまって、心安らかになるかもしれませんけれども、神は、守っているその約束を果たすことができないでいるのです。

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 次回は、「約束の背後にいるサタン」をお届けします。


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