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ほぼ5分で読める勝共理論 8
「日本国憲法」はどのようにできたのか

編集部編

戦後7年間、「日本」という国はなかった?
 日本は第2次世界大戦で、米国をはじめとする連合国と戦いました。そして戦争に負けると、連合国軍の占領下に置かれました。
 連合国が「日本は占領下に入りなさい」と命令したのです。この命令をポツダム宣言といいます。

 それから約7年間、 日本という国はなかったのです。日本が再び独立したのは1952年です。
 日本と戦った48の国が、「日本の戦争責任はもう追及しない。国として認めよう」と言って署名をしました。サンフランシスコ講和条約です。

 「講和」というのは「仲直り」という意味です。つまり日本がポツダム宣言を受け入れてから、世界と仲直りをして独立を認められるまでの7年間は、日本は独立した国ではなかったということです。日本人が日本のことを自由に決められない時代でした。

日本国憲法はGHQが作った?
 この期間に作られたのが日本国憲法でした。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の責任者であるマッカーサーが部下に命じて作らせた案が、ほぼそのまま日本国憲法となりました。
 よく読むと単純な言葉のミスもあります。それでもそのまま70年間、一文字も変えられずに今日まできました。

 「戦争に勝った国」が「戦争に負けた国」の憲法を作るというのは、本来は国際法違反です。しかし日本の国会で大日本帝国憲法を改正した、というかたちを取っているので、日本人が自主的に作ったことになっているのです。

 憲法改正を目指す人たちが大抵言うのは、「日本の憲法は日本人の手で作ろう」ということです。
 一方で反対する人たちは、「いやいやそんなことはない。日本国憲法は日本人が作ったんだ」と言います。

日本が自立した国になるためには?
 例えば現憲法の前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と書いてあります。
 GHQの案がそうなっていたからです。それで日本人は、「何かあれば諸外国を信じればいい。国連が何とかしてくれる。米国が守ってくれる。あるいは中国や北朝鮮も絶対に戦争はしない」、そう信じがちなのです。
 でも実際はそうなるとは限りません。当たり前の話です。しかしその当たり前のことが、憲法には全く書いてありません。

 人間でいえば、人間が成長して大人になるには、自分のことに責任を持てるようにならなければなりません。いつまでも甘えん坊ではしっかりとした考えを持つことができません。これは国も同じです。

 自分の国の平和や安全に責任を持てなくて、助けてもらうことが前提になっています。経済的に貧しい時代であれば仕方ないでしょうが、いつまでもそれでは困ります。いざというときに国民を守れませんし、成熟した考えを持つこともできないわけです。

 日本人が、日本という国の在り方を本当の意味で考えるためには、やはり自分の手で憲法を作ることが大切なのではないかと思います。

 次回は、憲法改正の最大のテーマである、「憲法9条」について論じます。