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ダーウィニズムを超えて 37

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

第三章 ドーキンスの進化論と統一思想の新創造論

(七)自然選択は創造主か

 ドーキンスは「自然淘汰は、あらゆる時代を通じて最高のクレーンである。それは生命を、原始的な単純さから、現在の私たちを幻惑するほど複雑で、美しく、設計されたかのような見かけをもつ、目も眩むほどの複雑さの高みまで引き上げたのである(*65)」と、自然選択は驚異的な上昇を成し遂げる最高のクレーンであると言う。

 細胞内の酵素も自然選択が造り上げたものであるが、それは驚嘆すべき働きをなしている。最新の人間の化学工場では、数百の異なる化学反応を工場内部で進行させているかもしれないが、そのような化学反応はフラスコや試験管などの壁で互いに隔てられている。しかし、生きている細胞では、細胞内において、同じような数の化学反応を同時に進行させている。しかも各反応はそれぞれに特別の酵素によって触媒されているのである。ドーキンスは酵素の働きについて次のように説明している。

 酵素は非常に大きな分子であって、その三次元構造が特定の化学反応を促進するような表面を提供することによって、反応を速める。生物学的な分子で重要なのは、その三次元構造だから、酵素は特定の形状の分子の製造ラインをつくりだすよう注意深く配置された大きな工作機械であると見なすことができる。したがって、一つの細胞が、内部の異なる酵素分子の表面上で、何百もの別々の化学反応を同時に、しかも別々に進行させることが可能なのだ。ある細胞のなかでどのような特定の化学反応が起きているかは、どの種類の酵素分子が大量に存在するかを調べれば判定できる。各酵素分子は、何よりも重要な意味をもつ形状も含めて、特定の遺伝子の決定論的な影響のもとで組み立てられる(*66)。(太字は引用者)

 自然選択は、細胞の中のミトコンドリアをも造り上げたのであるが、ミトコンドリアが行っている作業は人間社会のいかなる化学工場も及ばないものである。ドーキンスは次のように説明している。

 その構造から供給されるエネルギーは、ミトコンドリアの外観から予想されるよりもはるかに広い範囲に広がって使われている。膜は化学工場の生産ライン——より正確には発電所——である。注意深くコントロールされた連鎖反応が膜にそって広がっていくが、それは人間社会のいかなる化学工場よりも多くの段階をともなう連鎖反応である。その結果、食物の分子から生まれたエネルギーが注意深く段階を追って放出され、あとで必要になればつねに体内のどこででも燃焼できるように再利用できるかたちで貯蔵される。ミトコンドリアがなければ、われわれは瞬時に死んでしまう(*67)。(太字は引用者)

 このような驚嘆すべき酵素やミトコンドリアがいかなる自然選択によって生じたというのであろうか。ドーキンスによれば、自然選択は人間の化学者もはるかに及ばない最高の化学者であると言う。そして自然は最高の遺伝子エンジニアであり、人間はその練達した技術を学び始めたばかりの、ひよっ子のエンジニアにすぎないのだと言う。

 イギリスにおける遺伝子操作の法律上の定義は次のようである。「自然界では生じない寄主生物への組み込みを可能にし、かつ引き続き増殖をも可能にするために、いかなる手段によってであれ、その細胞外で生産された核酸分子をウイルス、バクテリア、プラスミドないしは他の媒介生物系(ベクター)へ挿入することによって、遺伝物質の新しい組み合せを生成すること」。とはいえ、むろん、人間の遺伝子エンジニアはこの道にかけてはひよっ子である。彼らは、遺伝子の交易をなりわいとして淘汰を通じて生き残ってきたウイルスやプラスミドなど、自然界の遺伝子エンジニアからその練達の技術を伝授してもらうことを学び始めたところなのだ(*68)。(太字は引用者)

 しかし、果たして自然(自然選択)が、そのような創造力をもちうるのであろうか。最近の進化発生生物学、エボデボ(Evolutionary Developmental Biology, 略してEvo Devo)の知見から、進化の原動力について考察してみよう。

 ヒトとチンパンジーのDNAにおける塩基対の98.8パーセントは同じで、違いはわずか1.2パーセントである。エボデボの推進者であるショーン・キャロル(Sean B. Carroll)によれば、「人間をつくる遺伝子群も他の動物をつくる遺伝子群も、驚くほどよく似ているのであり、種間の形態の差異は、その規模がどうであれ、同じ遺伝子群がどう使われているかの違いにある(*69)」。つまり遺伝子は動物の形態や機能を決める素子にすぎないのであり、遺伝子群を統括している大きな仕組みが背後にあるということになる。キャロルも「形態がどのようにして進化したのかということは、自然淘汰やDNAだけでは説明がつかないのだ(*70)」と言う。

 それでは進化を引き起こしているものは何であろう。エボデボによると、すべての動物は、その発生に必要な遺伝の道具類である、ツールキット遺伝子——そこにはホックス遺伝子等からなるマスター遺伝子が含まれている——を備えていることが明らかになった。そしてツールキット遺伝子を活性化する指令を出しているのは、ツールキット遺伝子のまわりにある遺伝子スイッチであるという。結局、遺伝子スイッチの進化が人類に至る生物の進化を導いたというのである。キャロルによると、カンブリア紀の爆発の少なくとも5000万年前にはツールキット遺伝子はすでに用意されており、遺伝子スイッチもその間に進化していたという。これは、カンブリア紀の大爆発が、爆発時の遺伝子の突然変異と自然選択だけで起きたのではないということである。

 しかるにキャロルは、5000万年前から自然選択が遺伝子スイッチへの情報入力を行ったと主張して、ダーウィニズムの立場に固執している。しかし、カンブリア紀の爆発が起きる5000万年前から、カンブリア紀の爆発に備えて自然選択が遺伝子スイッチを準備しておくなどということは、進化論の立場からは考えられない。自然選択はあくまでも、その場、その場で、適したものを選び、適さないものを捨てる作用にすぎないからである。

 エボデボは、遺伝子スイッチとホックスタンパク質が、蝶(ちょう)の翅(はね)の形状などを決定していることを明らかにしたと言う。しかしキャロルが認めているように、エボデボが明らかにしたのは、動物発生の全貌の中のほんの一コマにすぎず、所詮は静止画像でしかないのである。動物のからだをつくるには、もっと大きな「ネットワーク」が必要であると、キャロルは言う。

 相互作用を有するたくさんのスイッチ群やタンパク質群が、もっと大きな「ネットワーク」の一部をなす局地的な「回路」を形成し、ネットワークはさらに複雑な構造の発達を統括する。動物の体のつくりは、遺伝子に制御されたネットワーク構造の産物なのである(*71)。(太字は引用者)

 もっと大きな「ネットワーク」とは何であろうか? それはまさに生物個体の全体の設計図である。つまり生物の形態や機能を設定している設計図、またはデザインを認めなくてはならないということになる。キャロルは自然選択によって進化したというダーウィニズムに固執しているが、その意図に反して、エボデボは生物の進化の背後にある設計図やデザインについて論じているといえよう。

 キャロルは進化の主役は遺伝子スイッチであり、スイッチはまさに「進化のホットスポット」であり、人類の進化もスイッチの進化であると次のように語っている。

 ここで問題にしている発生と進化という二つのドラマに欠かせない役者が、遺伝子スイッチなのだ。……それぞれの生物種に固有の指令をコードし、基本的にどの種でも同じツールキット遺伝子を使いながら別個の動物をつくれるのも、スイッチのおかげである。スイッチは進化のホットスポットであり、キップリングがこよなく愛した斑点や縞模様、コブなどのつくり手なのだ(*72)。(太字は引用者)

 人類の進化においてもスイッチの進化が重要だったと言ってもよいだろう。ヒトの体は、哺乳類や霊長類の鋳型の焼き直しなのだ。そういうわけで私は、霊長類、類人猿、人類の進化は、遺伝子がコードしているタンパク質の変化ではなく遺伝子の調節機構の変化に負うところが大きかったと考えている(*73)。(太字は引用者)

 それでは遺伝子のスイッチをオンにしたり、オフにしたりするのはいかなる働きによるものであろうか。キャロルは、スイッチのオン・オフをするのはツールキットタンパク質であるが、そのツールキットタンパク質を制御しているのも、また遺伝子スイッチであると言う。そして「要するに重要なのは、すべてのスイッチのオン・オフはそのさらに前の出来事によって設定されており、スイッチの働きで遺伝子の作用が新たに設定され、それがさらに次のパターンと発生の過程を設定してゆくという点なのである(*74)」と言う。これでは果てしない堂々巡りになってしまう。サイエンス・ライターの渡辺政隆は、キャロルの主張を次のように要約している。

 キャロルは、様々な動物の体づくりに共通する遺伝子群をツールキット遺伝子と呼んでいる。そしてこの共通するツールキット一式から異なる体をつくる上で鍵を握るのが遺伝子スイッチであると主張する。遺伝子スイッチとは、個々のツールキット遺伝子の近隣に並ぶ遺伝子である。この遺伝子が個々の生物種特有のタイミングと場所で臨機応変に発現してタンパク質に翻訳され、そのタンパク質がツールキット遺伝子のスイッチをオンにし、種特異的な形態を形成するというのだ(*75)。(太字は引用者)

 ここでは遺伝子が「臨機応変に発現する」というが、臨機応変に発現させるものは何かということになる。これは唯物論的な観点からは解決しえないアポリア(難点)である。このようなアポリアは、ライフ・フィールドが遺伝子の背後にあって、遺伝子スイッチのオン・オフを操作していると見れば解決するのである。

 ダーウィンは「自然選択は、日ごとにまた時間ごとに、世界中で、どんな軽微なものであろうとあらゆる変異を詳しく調べる。悪いものは抜き去り、すべての良いものを保存し集積する。……[生物を]改良する仕事を、無言で目立たずに続ける(*76)」と述べた。ドブジャンスキーは自然選択を作曲家に、シンプソンは詩人に、メイヤーは彫刻家に、ハクスリーはシェークスピアにたとえた。そしてドーキンスは自然選択を最高の科学者(遺伝子工学者)と見なしているのである。これらを総合してみれば、彼らは自然選択を創造主に匹敵するものと見なしているということになる。すなわち、適者を選ぶだけの自然選択を創造主の位置にまで引き上げたのである。


*65 リチャード・ドーキンス、垂水雄二訳『神は妄想である』早川書房、2007年、113頁。
*66 リチャード・ドーキンス、垂水雄二訳『遺伝子の川』草思社、1995年、40頁。
*67 同上、70頁。
*68 リチャード・ドーキンス、日高敏雄他訳『延長された表現型』紀伊国屋書店、1987年、302頁。
*69 ショーン・B・キャロル、渡辺政隆・経塚淳子訳『シマウマの縞、蝶の模様』光文社、2007年、325頁。
*70 同上、11頁。
*71 同上、165頁。
*72 同上、143頁。
*73 同上、329頁。
*74 同上、150頁。
*75 同上、382頁。
*76 チャールズ・ダーウィン、八杉竜一訳『種の起原』上巻、岩波文庫、1963年、112

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 次回は、「ドーキンスと統一思想の出会い」をお届けします。


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