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スマホで立ち読み Vol.27
回顧録『愛あればこそ』13

久保木哲子・著

(光言社・『回顧録 愛あればこそ』〈2015525日初版発行〉より)

 スマホで立ち読み第27弾、回顧録『愛あればこそ』を毎週金曜日(予定)にお届けします。
 久保木修己・家庭連合初代会長の夫人である久保木哲子さん(430双)が、2023918日に聖和されました。故人の多大な功績に敬意を表し、著作である『回顧録 愛あればこそ』を立ち読みでご紹介いたします。
 ここでは第5章と第6章を試し読みいただけます。

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第六章 グランドツアー

宗教の時代

 宗教は人間以上の存在との関わりを第一義とします。自己の無力さを自覚し、神への帰依(きえ)を説きます。神あるいは仏による救済なしに自己の存在はあり得ないと悟るのです。つまり「生きる」ということの本質は、「生かされている」ということなのです。

 ですから感謝の心で生きることを教えます。生かされている喜びを他者と分かち合うことが愛なのです。キリストはそれを隣人愛と呼び、お釈迦(しゃか)様は慈悲と呼び、孔子は仁と呼びました。

 仏教哲学の権威である中村元(はじめ)先生(東京大学名誉教授)は、仏教の本質は無私と慈悲だと言っておられました。自分以上の存在に帰依することにより、己を無くすこと、また慈しみの心をもって他者に接するということが仏教の本質だというのです。

 イエス様も同じことを言っています。一番大切なのは神を愛すること、次に隣人を愛することだと言うのです。

 イエス様は神から見捨てられて十字架にかけられてしまいました。その時、イエス様は神に祈って、「わが神、わが神、なんぞ我を見棄(す)て給うや」という悲痛な叫びをしています。

 しかし、神様は一言も答えられませんでした。イエス様は神様から見放された立場で、無慈悲にも残酷な十字架の上で死ななければならなかったのです。その瞬間こそ、イエス様は最も勝利しがたい立場に立ったのでした。

 しかし、「沈黙」を守り、応えてくださらない神様を、イエス様はなお信じ、自分の無惨な姿を見ておられる親なる神様を信じていったのでした。

 さらに「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」と、とりなしまでしているのです。最後の厳しい愛の峠を越えていったのがイエス様でした。

 これら宗教の先達(せんだつ)たちが示した道は、共産主義の生き方と全く対極に位置します。共産主義の本質は、無神論と憎悪です。理想実現の方法は社会革命です。宗教は、神あるいは仏に帰依することを説き、愛や慈悲を教えます。理想実現の方法は、まず自己の内的変革です。共産主義が崩壊した今日、こうした価値観を有する宗教が大きな役割を担う時代がやって来ました。

 政治によるユートピア実現は不可能です。社会体制を変えても、人間自身のエゴイズムが変わらなければ、形を変えて悪がはびこるのです。

 競争社会における利己主義者は、平等社会に変わったら、怠けて同等の賃金を得ようとするでしょう。本質は何も変わっていないのですから、悪平等がはびこるだけです。

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 次回は、「『ハナニムノム マンセー』」をお届けします。



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